2020年、企業経営は変わろうとしています。「新しい日常」に対応した経営が求められています。従来とは一線を画す「新しい日常」を描き、その姿を実現していく力が重要になります。このためには様々な英知を結集したクリエイティブな協業エコシステムが必要です。経営として自らのコアを再認識するとともに経営の視点を広げ、機会の連鎖を生み出すことが求められています。
この歴史上の転換点となる年、JMACは社団法人日本能率協会からコンサルティングファームとして分社独立後40年を迎えました。私たちもこの機に新しいコンサルティングの姿をお見せしなければなりません。しかしながら、これまでの経営と現場の両サイドを視界から外さない一貫した信念はこれからも変わることはないでしょう。企業およびそこで働く人たちの「未来をつかむ」意志の実現と、そのサステナブルな社会への連鎖に向け、これからもJMACメンバー一丸となって精励して参ります。
1942年、社団法人日本能率協会の創立で日本初の経営コンサルティングファームは誕生しました。その後1980年に株式会社日本能率協会コンサルティング(JMAC)として分社継承され今日に至っています。創業当時から続く私たちの経営革新への息吹きは、分社後40年経った2020年においても変わりません。それはただ一つ、企業・組織とそこで働く人々のより良い未来を描き実現することにつきるといえます。
この創業40年の節目が、ニューノーマル(新常識)に向けて大きく転換する事態になったことは、驚きであると同時に、「未来をつかむ」新たな挑戦の場の到来でもあります。私達JMACは、これまでお客様と共有した経験と生み出された知見をもとに、「未来」に向けた対話を始めています。このイベントでその成果をご披露できればと思っております。ご期待ください。
モスグリーンはこれまでの経験と蓄積を表し、私たちが大切にする「お客さまの信頼」「コンサルティング技術」「互いを尊重する風土」を表しています。そして、変化にひるまず、新しいことに挑戦をする私たちの姿勢を、より良い未来への決意としてイエローで表現しました。重なり合うJMACブルーはクライアントとともにこれからの豊かな社会、未来を創るJMACそのものを表しています。
「能率」という言葉が生まれたのは、明治末~大正初期。
「能率」とは、人の「能力」、設備の「性能」、材料の「機能」をそれぞれ活かしきるマネジメント、すなわち科学的管理法(Scientific management)の本質を捉えた言葉です。その後、大正から昭和にかけて日本能率連合会や日本工業協会などの活動により、能率運動とその研究が各地に普及していきました。
1942年、当時の商工大臣であった岸信介氏が、戦時下の国家的要請に応えるべく、日本能率連合会と日本工業協会を統合強化し、ここに日本能率協会が創設されました。
初代会長に任命された伍堂卓雄氏は、所信表明で日本能率協会の運営方針を下記のとおり述べています。
「日本的性格を具有する能率増進方策の創案完成に努むること」「議論より実行を主とすること」「総花主義を捨てて真の重点主義、併列主義を排して順位を重んずる従列主義にて進むこと」伍堂氏は「マネジメントは単なるシステムではない。重要なのは人間であり、従業員と管理者、経営者の考え方と行動である」との確信を持っていました。これらは日本能率協会グループのDNAとして今でも受け継がれています。
戦中から戦後の復興期には工場管理の改善が急務でした。JMA理事長の森川覺三氏は、作業能率・品質管理・日程管理などを改善する技術を「生産技術」と呼ぶことを提唱し、航空工業関係技術者を対象とした「生産技術講習会」が開始されました。この講座はQC(Quality Control)、VE(Value Engineering)と並んで三大管理技術の1つであるIE(Industrial Engineering)をベースに組み立てられており、その基本プログラムは70年以上を経た現在でも「Pコース」の名称でお客さまに提供されています。
戦後の混迷の中、日本能率協会はコンサルティングのさらなる事業化を進めていきます。優れたコンサルタントたちを有機的に組織化することで、集団としての技術とお互いへの信頼感が醸成されていきました。「コンサルティング技術は実践の現場から生まれ、実践により磨かれる」この考えを基本としながら日本能率協会のコンサルタントは、コンサルティング成果に対する顧客企業への責任のみにとどまらず、成果を生み出した技術の体系化にも責任を負うものと考えるようになりました。1946年に初めて開催された「コンサルティング技術会議」は、1980年に株式会社となって以降も続いています。
1945年に日本能率協会に入職した新郷重夫氏は、工場改善を主体としたコンサルタントとして活躍しました。新郷氏の名を高めたのは、「シングル段取り」の開発です。1969年にトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)で始まったプレスの段取り時間短縮の取組みの中で、多品種少量化が進む生産現場のロス軽減に貢献しました。新郷氏の功績は日本国内にとどまらず、日本式の生産管理を広く海外に伝えたことにあります。米国・ユタ州立大学では同氏の功績を讃えて、「製造業のノーベル賞」と称される「新郷賞」が設立されています。
1980年、日本能率協会は日本産業界へのさらなる貢献に向けて、コンサルティング事業部を分社化しました。株式会社日本能率協会コンサルティング(JMAC)として基本綱領を定めるとともに、1985年にはコンサルタントの倫理綱領を制定しました。「倫理とは、手続、規則、法律、道徳に先行する心の秩序である」とし、一人ひとりのJMACメンバーがコンサルティング事業の社会的使命とコンサルタントが倫理職業であることを自覚し、企業と社会の豊かさに貢献することを求めたのです。
「能率」という言葉が生まれたのは、明治末~大正初期。
21世紀になり、開発・生産・物流・販売にわたる機能別コンサルティングの専門性を基軸に、戦略・人事・組織・ITなどの経営全般にわたるコンサルティング・サービスをさらに充実させました。また、世界各国の産業構造とニーズに沿った形で、総合コンサルティング・サービスをグローバルに展開しています。
JMACがこれまでの歴史の中で培ったコンサルティングに向かう精神、そして技術は創造性に富む現代において、レガシーでありながら新規性をもって産業界をさらに飛躍させています。
確かな技術があること、そして研鑽をもってさらに技術 を昇華させる精神は、産業界の成長と発展、そしてそれを支える社会に大きく寄与をしています。
2020年、時代は令和へと移り、デジタルソリューション、ワークスタイルシフトなど、22世紀に向けた100年経営の視点が求められるようになりました。 JMACにおいても2020年は1980年の分社独立から40年、1942年の日本能率協会の創設から78年。100年経営、そしてその更に先を目指しています。
2050年の若者たちへ。30年後の君たちを取り巻く環境はきっと大きく変わっているだろう。ただ今を生きる我々の思いは常に変わらないものと信じている。素直に現実を見つめて、解決策を深く追求して欲しい。真摯に未来に向き合って気づきと、目標と、希望の中で前に進んでほしい。
いま急速に「新しい世界」が形作られようとしてる。共通に考えているテーマは「よりよい世界でよりよく生きる」ということ。これからどんな社会にしていきたいか、そのために自分の強みはどう活かせるか。勇気を出して一歩を踏み出す人には、すぐそこに素敵な同じ思いを共有する仲間がいて、ワクワクする未来が拡がっているだろう。
10年前、20年前の今日、自分はどこで何をしてたのだろう。その時代を感じ、考え、悩み、努力し、また生活を楽しみながら、一生懸命に生きていた。2020年の今もそうだ。10年後、20年後の未来、世の中がどんなに変化しようとも、自分という存在や意識は確かに存在するはず。
今の世の中は未来が予測不可能な「VUCAの時代」と呼ばれる。とはいえ未来を考えることを放棄して良いわけではない。私たちにできることは様々な可能性に想いを巡らせつつ、信じた道を一歩一歩進んでいくことだけ。こんな時代だからこそ、ブレない自分をもって未来に向かっていきたい。
「未来」は誰に見え、 誰が掴むのであろうか?「未来」をつかんだ人はブレイクスルーして未来を創造した人であろう。社会に役立つニーズの発明、新たな発想と挑戦、行動する勇気、失敗しても次の一手、仲間・連携先を巻き込む、工夫した仕組みの構築、やりきる精神。それをドライブするのが我々JMACのミッションである。
JMACは40周年を迎える。その歳月は人生100歳時代とすると折り返し点だろう。自分自身の人生の設計図を描き、生涯にわたり輝き続けることができる会社を実現するためには、常にトランスフォーメーションを繰り返していく必要がある。それを実現可能なのがJMACだと確信しているし、そう思う仲間がJMACにはいる。
未来は誰にも分からない。今、分かるのは激しい変化が起きるということだ。既成概念では考えられないような事が日常に変わっていく。バズワードのDXやAIが当たり前になり、その当たり前なものに対して当たり前に適応し使いこなせることが求められる。 大きな変化に追従するために共に動き・学び・与えることができるのがJMACだ。
リーマンショック、東日本大震災、新型コロナウイルスの世界的大流行。
社会全体も、そしてJMACも、常にパラダイムシフトを迫られてきた。
これからの未来を掴むため、変わらなればいけないこともあれば、変えてはいけないことも当然ある。伝統と革新を大切に、これからも正しく挑戦し続けるJMACでありたいと思う。
日本の製造業は、外部環境の変化を受け事業構造の見直しが必要になっている。
BtoBの製造業では得意先との強固なサプライチェーンに支えられていた歴史もあり、受け身体質で危機感が薄い部分がある。
JMACは製造業に強い。製造業の特長・良さはそのままに将来を見据えた攻め体質の改革支援で製造業の未来へつなげていきたい。
「未来をつかみなさい、さもなくば、あなたが未来に掴まれるであろう」(パトリック・ディクソン)
未来学では何が存続、変化、登場するかを追求し、未来を読む。つまり未来は、隠れた潮流・動向を洞察し、その先を読んで、変化後の優位性を確立した企業が掴む。さて、何を伸ばし、何を残せば未来まで勝ち残るだろうか?
グローバル、ダイバーシティ視点で考えれば考えるほど、日本とは何か、我々とは何かを深く考えざるを得ない。日本そして我々が生み出してきた価値、日本らしさや自社らしさ溢れる価値は何か。顧客を選び価値を研ぎ澄ます、すなわち勇気を持って捨てる顧客・捨てる価値を鮮明にする。これからはそんな経営だけが輝くだろう。
最近に限らず、変化は常に起こっており、お客様の課題やニーズも変化してきている。我々はその変化を受け入れながら、お客様と共に解決策を見つける。JMACとそのコンサルタントは、今までもこれからも今に安住することなくより良い方向に向かって変革していく企業をサポートし、頼られる存在でありたい。
将来のあるべき姿を定め、それを実現させるために一つ一つ階段を登る。お客さまには「5センチでも良いから今、登れていない階段を見つけ、登り続けよう」と言い続けている。昨日よりも今日の自分が、JMACが、成長するよう努力する。うまく行かなくても他責にせず、自責で考え抜く。いつでもそうありたい。
46億年の地球の歴史を振り返ると、環境変化に応じて生物は変化に適応し、進化してきた。JMACの歴史は40年。これからも「能率」のDNAを基に、様々な環境変化に応じて社会・お客様の有する能力と特性の最大化に向け、適応進化し、豊かな産業界・社会の実現に取り組んでいきたい。
日本は少子高齢化により経済規模が縮小すると言われている中、世界はグローバル化し、ダイバーシティが当たり前になっている。しかしこんな時こそ、日本らしさ、自社らしさとは何かを考え、顧客と価値を共創することで、従業員の働きがい向上と企業成長を同時実現していこう。日本の可能性は無限大と信じている。
社会が大きく変化するなかで、40年の間、JMACも守るべきものは守りながら変化してきた。
これからテクノロジーがさらに進歩し、時間・場所・人など働く上での様々な制約は無くなり、働くスタイルは大きく変わっているでだろう。
ただし、人が付加価値を生み出すことには変わりないはず!そこに貢献し続けたい!
超少子高齢化の出現、自然災害の発生、AIの進化、ダイバシティ社会の進展などこれまでに無い現象が発生することが予想される。これまでの経験が活かせないかもしれない。しかし変化はチャンスだ。チャンスは準備したもののみ掴むことが可能だ。将来に向けて今から一緒に変革の準備を進めていこう。
「敢えて変えない」のか「変わりたくないだけ」か。世の中の変化にはいずれ対峙する時が来る。自社の考え・明確な姿勢があってこそ、顧客からの共感やサポートも生まれる。「目的に対し◯◯ならできる/やってみる」という思考が重要である。一時の生みの苦しみさえも楽しみながら、達成の喜びを共に分かち合っていきたい。
少子高齢化の進展とテクノロジーの発達によって、人間と機械が共存する世界が本当に当たり前の時代になっていく。機械だからできること、人間だからできること、それぞれの良さをかけ合わせながら、多種多様な価値観に溢れた時代に生き残る企業を支援し続け、産業界の発展と人の幸せに貢献し続けたい。