ビジネスインサイツ49
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毎回、革新、成長を続けている企業のトップに 経営哲学や視点についてお話しを伺います。 インタビュアー:JMAC
代表取締役社長 鈴木 亨
~ニーズは身近なところにあり。 「気づき」こそさらなる飛躍の鍵だ~
社員の意識と組織の変革で 閉ざされた会社を開国へ導く
森下仁丹株式会社
過去の経験に引き寄せられた 森下仁丹への道
鈴木: 2003 年、経営危機的な状況の中、駒村社長は森下 仁丹へ入社されました。まずはそれまでの経緯についてお 話しいただきたいと思います。 駒村:私は元々三菱商事で、スペシャリティケミカル、い わゆる精密化学品の分野で輸出主体の業務に従事してい ました。70 年代後半から 80 年代にかけ、オイルショック 等を契機に「商社の冬の時代」が到来し、商社もいわゆる コーディネーターの役割から自らリスクを取り、事業投資 をしていく方向に舵を切ったんです。私もその流れに乗っ て、イタリアでスペシャリティケミカル分野のある事業会 社を買収。さらに 96 年からその会社の事業規模拡大に伴 い、現地で実際に経営に携わることとなり、そこでフッ素 化の技術においては世界トップクラスに持ち上げるまでに 至りました。 そんな中、イタリアでの赴任の年限があける 2003 年頃、 商社を取り巻く環境はさらに変化し、資源やITや流通関 連が主流の時代になっていました。スペシャリティ分野で 生きてきた私にとっては、総合商社という枠組みの中でこ
の先の自らの将来を考えた時、これまでの経験をより活か せる分野にチャレンジしたいという思いが勝り帰任を待た ず辞表を出したんです。時を同じくして、森下仁丹で経営 立て直しのため人を探しているという話が私に舞い込みま した。それが私と森下仁丹との出会いです。
挫けない強さを育んだ イタリアでの事業経験
鈴木:大阪の老舗オーナー企業へ単身で乗り込んでいく。 そういう面で不安はなかったですか? 駒村 : 当時の私にはそういう思いは全くありませんでした。 それはイタリアでの事業経験で鍛えられた耐性があったこ とが大きいでしょう。そこでの相手は大半が外国人。社員 はラテン系気質の人々です。仕事はイタリア国内に留まら ず、世界的なマーケットに対応して、多種多様な国籍の人 を相手にするのがルーティンワークでした。ですから、日 本的な価値観やモラルでは判断できない事の方がはるかに 多く、厳しい経営環境で挫けない強さと折れない柔軟性が 育まれたんだと思います。 また、元来、イタリアはオーナー企業が多い。それに、
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