ビジネスインサイツ61
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毎回、革新、成長を続けている企業のトップに 経営哲学や視点についてお話しを伺います。 インタビュアー:JMAC
代表取締役社長 鈴木 亨
夢の実現には 「ブレない経営」が必要だ
田辺三菱製薬株式会社
〜新時代のトータル・ヘルスケアソリューションを創薬で支える〜
入社当時の夢は研究所長 しかし意外な道へ進むことに
鈴木:土屋会長は大学時代ずっと薬学を勉強されていて、 博士号まで取られました。薬学の道に進まれた理由や田辺 製薬に入社した当時の想いをお聞かせください。 土屋:私は男ばかりの 6 人兄弟の 5 男で、私を含めて 5 人が理科系・技術系の道に進みました。上の二人は化学系 で、こうした環境で育ったせいでしょうか、モノづくりに 興味があったこととそれを病気の治療に役立てたいとの想 いから薬学の道、とくに有機合成の世界に進みました。 私が在籍していた大学の研究室は「何でも好きなことを 研究しなさい」という風土であり、自分で研究テーマを探 しては、いろんな研究をしましたね。そういった自由闊達 な雰囲気の中で研究をした経験が、自由闊達な会社にしよ うという原動力になっています。 博士課程を終えて田辺製薬に入社し、研究所に配属され たときの夢は、患者さんを助けられる革新的な新薬の創製 を直接指揮できる、研究所長になることでした。しかし研 究所にいたのは最初の 10 年、その後は研究企画部、経営 企画部と企画畑を歩むことになりました。当時は研究所か ら経営企画部への異動の前例はなく、最初は戸惑いました が、結果的にはとても良い転機になったと思っています。
研究所の外でさまざまな経験を積み、物事を多面的に見る ことができるようになりましたし、研究企画部では共同研 究、経営企画部では M&A など、多様な実務経験を積む ことができたのは大きな収穫でした。
研究はリレー競技のバトンタッチ 薬を育て、人を育てる
鈴木:1995 年に経営企画部に異動された後、2003 年 に研究本部に戻られました。経営企画部を経験して研究所 の所長になられたとき、研究所のマネジメントに対する見 方がどう変わられたのか、また、マネジメントの具体的な 内容についてもお聞かせください。 土屋:まず、企業規模に合った研究開発をするために、自 社単独でどこまですべきか、外部の力をいかに活用するか に着目するようになりました。実際に産官学や国内外を問 わず、いくつかの共同研究・開発も行いましたが、外部連 携の重要性を肌で感じました。医薬品は情報、技術、知 識、知恵の集積体ですから、医薬品産業は情報産業とも言 えます。その情報収集のためにも外部とのネットワークや コミュニケーションは非常に重要です。 私たちは、薬を世の中に出した後も薬を使った患者さん の症例などの情報を集めて分析し、その結果について医療
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