ビジネスインサイツ63
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毎回、革新、成長を続けている企業のトップに 経営哲学や視点についてお話しを伺います。 インタビュアー:JMAC
代表取締役社長 鈴木 亨
「情熱」がエンジン ! 立ち止まらず、チャレンジし続ける
ブラザー工業株式会社
〜グローバルビジネスを成功に導くブラザーの “ 飛び込む力 ” 〜
「人と違うキャ リアを積みたい」 入社 3 年目に志願し てアメリカへ
鈴木:小池さんはアメリカでの仕事が 23 年間と非常に長 かったとお聞きしています。入社 3 年目に志願してアメ リカへ行かれたそうですが、その理由や想いをお聞かせく ださい。 小池:アメリカ行きを志願した一番の理由は、 「人と違う キャリアを積みたかったから」です。ブラザーは今もそう なのですが、当時から家庭的な雰囲気で居心地が良く、仕 事をする環境としては最高でした。しかし、私はもともと トップになりたいと思って入社していたので、3 年目を迎 えるころから「このまま安閑と過ごしていても年功序列の 壁は超えられないし、将来的に会社をマネジメントするた めには、何か人と違うことに挑戦してキャリアを積まない といけないな」と思い始めていました。 入社後、 毎晩のように部長や課長と一緒に飲み歩いて 「会 社はどうあるべきか」とか「ミシンでこのまま生き延びる のは結構しんどいね」といった話を聞いていたので、入社 2 年目のころには会社全体の状況がなんとなくわかってい たということも大きかったですね。 80 年代に入ると、ブラザーは事業の主軸をミシンから
情報機器へと移行し、1984 年のロサンゼルスオリンピッ クではタイプライターの公式サプライヤーになりました。 そのとき、いつも一緒に飲んでいる先輩方から「電子タイ プライターを改造してつくったプリンターがあるから、小 池君がこれをアメリカで売ってみないか」と言われたので す。当時、アメリカではパソコンが世に出始めたころで、 ブラザーはそれに接続して使うプリンターを売り出そうと していました。しかし、アメリカの現地法人から「プリン ターなんて売れるわけがない」と販売を断られたので、 「そ れじゃあ日本から誰か行かせよう」となったのです。 アメリカなんて学生時代に 1 回遊びに行っただけでマー ケットも何も知らなかったのですが、人と違うキャリアを 積める大きなチャンスでもありました。ですから、 「たと え失敗しても人生の肥やしになるし、思い切ってチャレン ジしてみよう」と志願したのです。
「Who are you? 」から一転 プリンターの大ヒッ ト でヒーローに
鈴木:小池さんはブラザーがアメリカでのプリンタービジ ネスをこれから始めようというときに、その担い手として 渡米されました。渡米後はどのようにビジネスをスタート し、軌道に乗せていったのでしょうか。
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