ビジネスインサイツ63
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設立:1934 年 1 月 15 日(創業:1908 年) 資本金:192 億 900 万円(2016 年 3 月 31 日現在) 従業員数:連結 36,307 名(2016 年 3 月 31 日現在) 主な事業内容:プリンター、複合機、家庭用ミシン、工業用ミシン、 産業機器、工業用部品、産業用インクジェットプリ ンター、デジタル印刷機などの製造・販売
1908 年 (明治 41 年) に創業したブラザーグループ (以下、 ブラザー) は、 戦後のミシントップメーカー時代を経て、現在では海外比率 8 割の「情 報通信機器のブラザー」としてグローバルな地位を確立した。ブラザー の社長・小池利和氏は、入社 3 年目の 1981 年、プリンターの勃興期 に単身アメリカへ赴任し、ブラザーのプリンティング事業を成功へと導 いた立役者だ。今でも社内では「テリーさん」とアメリカ駐在時代につ いたニックネームで呼ばれている。 「トップになる」ことを志して入社 した小池氏が、23 年間アメリカで奮闘して得てきたビジネスマインド と成功の秘訣、そして次世代に語り継ぎたいことなどをお聞きした。
小池 利和 氏
小池:アメリカ行きを志願した私ですが、実は英語が苦手 でした。しばらく英語の勉強をしようと思っていたら、会 社から「現地でいろいろ経験したほうが早いから、とにか く行け!」と言われ、すぐに当面の着替えが入った荷物と プリンターのサンプル 1 個を抱え、アメリカ・ロサンゼ ルスへと渡りました。26 歳になりたての、1981 年 10 月 31 日のことです。 空港からはレンタカーを借りて、まずはあいさつがてら 現地法人のロサンゼルス支社に立ち寄りました。 彼らは 「日 本から精鋭が来るぞ」と聞かされていたようですが、私の 顔を見るなり「誰だ、この若造は? 本当に大丈夫か?」 と一時騒然となりましたね(笑) 。支社を出てからはその 足でオフィス兼住居になる家を探して、1 階にファクスや コピー機を入れて 2 階で寝る、今でいう SOHO の形をと りました。英語力もプリンタービジネスの知識もない、頼 れるのは自分だけ、というまさにゼロからのスタートでし た。 それからは毎日毎日、拙い英語でとにかくたくさんの会 社に電話をかけて、プリンターを売り込みました。半年後 にはさまざまなところから引き合いがくるようになり、1 台 10 万円もするのに月に 3000 〜 5000 台も売れて、売 上げも月に 3 〜 5 億円にものぼりました。こうして 82 〜 84 年の間、世界中で爆発的に売れ続けたのです。
代表取締役社長
この大ヒットの理由は、価格と機能のバランスの良さに ありました。ブラザーのプリンターは電子タイプライター をベースに開発されたことから、投資額も少なく他社より 安価で提供できたこと、当時のパソコンのアプリケーショ ンはワープロが主流だったため、タイプライターの印字メ カニズムが「キレイに印字したい」という需要に偶然にも ピタッとはまったことが功を奏しました。 ですから、いつも正直に「ヒットしたのはたまたま運が 良かっただけ」と言っていたのですが、知らない間に周り から 「これはすごい! プリンターのことなら彼に聞け!」 と言われるようになってしまい、1985 年からはニュー ジャージーで商品開発に携わることになりました。
苦境を “ 革新のチャ ンス ” に変える ブラザーの情熱とチャ レンジ精神
鈴木:今までのお話を聞くと、渡米後にプリンターが大 ヒットして、順風満帆にアメリカ生活を送っていた印象を 受けますが、やはりたいへんなご苦労もあったのではない でしょうか。 小池:そうですね、商品が売れなくなってきた 80 年代後 半からの数年間はとにかく苦しかったですね。価格競争の
Toshikazu Koike
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