ビジネスインサイツ63
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「情熱」がエンジン! 立ち止まらず、 チャレンジし続ける
〜グローバルビジネスを成功に導くブラザーの “飛び込む力” 〜
ブラザー工業株式会社 代表取締役社長
小池 利和
プラチナ万年筆株式会社 人を活かし、組織を動かす 「ミドルの自律」が生産現場を変える 株式会社ジェイ・エム・エス 「若手の発想」が会社の未来をつくり出す 先進の事業探索が今、走りだした ヤンマー株式会社 「プレミアム品質」への挑戦 YQM の実践と課題
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毎回、革新、成長を続けている企業のトップに 経営哲学や視点についてお話しを伺います。 インタビュアー:JMAC
代表取締役社長 鈴木 亨
「情熱」がエンジン ! 立ち止まらず、チャレンジし続ける
ブラザー工業株式会社
〜グローバルビジネスを成功に導くブラザーの “ 飛び込む力 ” 〜
「人と違うキャ リアを積みたい」 入社 3 年目に志願し てアメリカへ
鈴木:小池さんはアメリカでの仕事が 23 年間と非常に長 かったとお聞きしています。入社 3 年目に志願してアメ リカへ行かれたそうですが、その理由や想いをお聞かせく ださい。 小池:アメリカ行きを志願した一番の理由は、 「人と違う キャリアを積みたかったから」です。ブラザーは今もそう なのですが、当時から家庭的な雰囲気で居心地が良く、仕 事をする環境としては最高でした。しかし、私はもともと トップになりたいと思って入社していたので、3 年目を迎 えるころから「このまま安閑と過ごしていても年功序列の 壁は超えられないし、将来的に会社をマネジメントするた めには、何か人と違うことに挑戦してキャリアを積まない といけないな」と思い始めていました。 入社後、 毎晩のように部長や課長と一緒に飲み歩いて 「会 社はどうあるべきか」とか「ミシンでこのまま生き延びる のは結構しんどいね」といった話を聞いていたので、入社 2 年目のころには会社全体の状況がなんとなくわかってい たということも大きかったですね。 80 年代に入ると、ブラザーは事業の主軸をミシンから
情報機器へと移行し、1984 年のロサンゼルスオリンピッ クではタイプライターの公式サプライヤーになりました。 そのとき、いつも一緒に飲んでいる先輩方から「電子タイ プライターを改造してつくったプリンターがあるから、小 池君がこれをアメリカで売ってみないか」と言われたので す。当時、アメリカではパソコンが世に出始めたころで、 ブラザーはそれに接続して使うプリンターを売り出そうと していました。しかし、アメリカの現地法人から「プリン ターなんて売れるわけがない」と販売を断られたので、 「そ れじゃあ日本から誰か行かせよう」となったのです。 アメリカなんて学生時代に 1 回遊びに行っただけでマー ケットも何も知らなかったのですが、人と違うキャリアを 積める大きなチャンスでもありました。ですから、 「たと え失敗しても人生の肥やしになるし、思い切ってチャレン ジしてみよう」と志願したのです。
「Who are you? 」から一転 プリンターの大ヒッ ト でヒーローに
鈴木:小池さんはブラザーがアメリカでのプリンタービジ ネスをこれから始めようというときに、その担い手として 渡米されました。渡米後はどのようにビジネスをスタート し、軌道に乗せていったのでしょうか。
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設立:1934 年 1 月 15 日(創業:1908 年) 資本金:192 億 900 万円(2016 年 3 月 31 日現在) 従業員数:連結 36,307 名(2016 年 3 月 31 日現在) 主な事業内容:プリンター、複合機、家庭用ミシン、工業用ミシン、 産業機器、工業用部品、産業用インクジェットプリ ンター、デジタル印刷機などの製造・販売
1908 年 (明治 41 年) に創業したブラザーグループ (以下、 ブラザー) は、 戦後のミシントップメーカー時代を経て、現在では海外比率 8 割の「情 報通信機器のブラザー」としてグローバルな地位を確立した。ブラザー の社長・小池利和氏は、入社 3 年目の 1981 年、プリンターの勃興期 に単身アメリカへ赴任し、ブラザーのプリンティング事業を成功へと導 いた立役者だ。今でも社内では「テリーさん」とアメリカ駐在時代につ いたニックネームで呼ばれている。 「トップになる」ことを志して入社 した小池氏が、23 年間アメリカで奮闘して得てきたビジネスマインド と成功の秘訣、そして次世代に語り継ぎたいことなどをお聞きした。
小池 利和 氏
小池:アメリカ行きを志願した私ですが、実は英語が苦手 でした。しばらく英語の勉強をしようと思っていたら、会 社から「現地でいろいろ経験したほうが早いから、とにか く行け!」と言われ、すぐに当面の着替えが入った荷物と プリンターのサンプル 1 個を抱え、アメリカ・ロサンゼ ルスへと渡りました。26 歳になりたての、1981 年 10 月 31 日のことです。 空港からはレンタカーを借りて、まずはあいさつがてら 現地法人のロサンゼルス支社に立ち寄りました。 彼らは 「日 本から精鋭が来るぞ」と聞かされていたようですが、私の 顔を見るなり「誰だ、この若造は? 本当に大丈夫か?」 と一時騒然となりましたね(笑) 。支社を出てからはその 足でオフィス兼住居になる家を探して、1 階にファクスや コピー機を入れて 2 階で寝る、今でいう SOHO の形をと りました。英語力もプリンタービジネスの知識もない、頼 れるのは自分だけ、というまさにゼロからのスタートでし た。 それからは毎日毎日、拙い英語でとにかくたくさんの会 社に電話をかけて、プリンターを売り込みました。半年後 にはさまざまなところから引き合いがくるようになり、1 台 10 万円もするのに月に 3000 〜 5000 台も売れて、売 上げも月に 3 〜 5 億円にものぼりました。こうして 82 〜 84 年の間、世界中で爆発的に売れ続けたのです。
代表取締役社長
この大ヒットの理由は、価格と機能のバランスの良さに ありました。ブラザーのプリンターは電子タイプライター をベースに開発されたことから、投資額も少なく他社より 安価で提供できたこと、当時のパソコンのアプリケーショ ンはワープロが主流だったため、タイプライターの印字メ カニズムが「キレイに印字したい」という需要に偶然にも ピタッとはまったことが功を奏しました。 ですから、いつも正直に「ヒットしたのはたまたま運が 良かっただけ」と言っていたのですが、知らない間に周り から 「これはすごい! プリンターのことなら彼に聞け!」 と言われるようになってしまい、1985 年からはニュー ジャージーで商品開発に携わることになりました。
苦境を “ 革新のチャ ンス ” に変える ブラザーの情熱とチャ レンジ精神
鈴木:今までのお話を聞くと、渡米後にプリンターが大 ヒットして、順風満帆にアメリカ生活を送っていた印象を 受けますが、やはりたいへんなご苦労もあったのではない でしょうか。 小池:そうですね、商品が売れなくなってきた 80 年代後 半からの数年間はとにかく苦しかったですね。価格競争の
Toshikazu Koike
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激化と、市場で台頭し始めたレーザーやインクジェットの プリンターを自社開発する技術がまだなく、商品のライン ナップが少ないことが原因でした。 「売れる自社開発製品をつくること」が自分のミッショ ンだと思っていた私は、すでに自社開発して売上げ実績の あるファクスをその足掛かりにしようと考え、懇意にして いた販売店バイヤーたちに「どうしたらもっと売れるだろ うか」とアドバイスを求めました。すると、 「競合他社の 半額、399 ドルのファクスだったら売れると思う」といっ た提案をしてくれるところが続々と現れたのです。 「399 ドルのファクスなら売れる」と見込んだ私は、日 本の技術者たちに開発を依頼しました。これまでの半額の ものをつくるのは非常に難しいことだと承知していました が、彼らは快諾し、たいへんな努力を重ねて開発してくれ ました。続いてレーザーとインクジェットプリンターの自 社開発にも成功すると、次はレーザーの複合機、その次は インクジェットの複合機、と毎年新しいラインナップを出 せるようになり、 売上げも 2 割 3 割アップしていきました。 こうしてアメリカのビジネスは 90 年代前半から後半にか けてものすごいスピードで成長を遂げ、工場でつくり切れ ないほどのオーダーが一夜にして飛び込んでくるようにな りました。しかし、 そのときハタと気がついたのです。 「こ の拡大するビジネスの成長を支えるインフラがない」と。 周囲にはインフラ整備に詳しい人がいなかったので、ここ でも 「俺がやるしかない。未知の分野だが、 思い切ってチャ レンジしてみよう」と思い立ちました。 それからは日系米系問わずたくさんの会社を訪問して 「倉庫のオペレーションはどうやっているのか」 「コールセ ンターはどのようにして運営しているのか」と聞いたり実 際に現場を見せてもらったりして、急ピッチで勉強を進め ていきました。そして、テネシーに 100 エーカー(約 40 ヘクタール) の土地を購入して 10,000 平方フィート (930 平方メートル)の巨大倉庫をつくり、その中に工場、研究 開発所、コールセンターなどを集中して配置して、IT 基 幹業務システムも導入しました。こうして 1998 年には巨 大物流拠点を完成させました。6 カ所にあった倉庫が 1 カ 所にまとまったので、 「1 つの倉庫から 1 台のトラックで 商品を運べばよくなった」とたいへん好評でした。 こうして情報通信機器ビジネスは大きく成長し、米国駐 在中に売上げは 25 倍になりました。厳しい時代を経て、 変革を重ねながらここまでビジネスを成長させることがで
きたのは、長年培ってきたお客様や販売代理店との信頼関 係、そしてブラザーのものづくりへの情熱があったからに ほかなりません。 今の私を支えているのは、 トライ&エラー を繰り返しながら、あらゆる業務を一気通貫で経験するこ とのできた、この 23 年間だと感じています。
「オレが頑張らなきゃいかん」 初志を貫きブラザーの ト ッ プに
鈴木:小池さんは 2005 年にアメリカから帰国し、2007 年にブラザーの社長に就任されました。1908 年に創業 した歴史ある企業のトップになったときのお気持ちや決意 などをお聞かせください。 小池:まず思ったのは、 「人間の運命って不思議なものだ な」 ということです。 アメリカで一旗あげようと思って行っ たら、帰ってくるなと言われたのでそのままずっといて、 1999 年にはアメリカの社長になれたので、 「まあ、この まま人生終わるのもありかな」と思っていました。日本へ 戻ってこないかと声がかかったのは、 外から日本を見て 「さ まざまな課題があるな」と感じていたときでもあり、人生 としては結構大きな転機でしたね。家族をアメリカに残し てきたことも、自分にとっては大きな決断でした。 その 2 年後に社長就任の打診を受けたときには、あれ これと迷いましたが、最後に自分を押したのは「オレが頑 張らなきゃいかん」という気持ちでした。もともとトップ になりたくて会社に入ったわけですし、 「自分が社長とし て頑張ることを期待されているんだ」と勝手に思うことで モチベーションを上げて続けていくのが、私の基本的なや り方なのです。 ブラザーは創業 108 年という長い歴史の中で、幾度と なく困難に直面しましたが、従業員同士が知恵を出し合 い、チャレンジを続けながらそれを打開してきました。こ の DNA を伝承し、次世代の人材を育てていくことが私の 使命だと考えています。 そこで人材育成プログラム 「テリー のチャレンジ塾」を社内で立ち上げ、自分のこれまでの経 験を少しずつ伝えていくようにしています。そこでは、 「自 分が与えられた仕事だけではなく、視野を広げて部門を超 えた交流をして、さまざまな新しいことにチャレンジして いきなさい」といつも話しています。とくに「圧倒的な当 事者意識を持つこと」 「お節介をすること」の 2 つは徹底
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小池 利和
Toshikazu Koike
1955 年 1979 年 1982 年 1992 年 2000 年 2005 年 2007 年
愛知県出身 早稲田大学政治経済学部卒業 ブラザー工業入社 ブラザーインターナショナルコーポレーション(米国法人)に出向 同社 取締役 同社 取締役社長 帰国 ブラザー工業 取締役常務執行役員 同社 代表取締役社長 現任 いと考えています。
的に言い続けています。
テーマは 「変革への挑戦」 構造改革で持続的成長をねら う
鈴木:ブラザーはこれまで、時代や環境の変化に対応して ミシン製造からファクス、プリンターなど情報通信分野へ と事業の構造改革を絶えず行ってきました。今後のブラ ザーの方向性や目指したい姿についてお聞かせください。 小池:現在、ブラザーの売上げ・利益はプリンティング事 業に支えられていますが、近頃はモバイル端末の普及で プリンターや複合機で印刷する機会が減ってきています。 そこで、“ 成長のエンジン ” を今後の成長が見込まれる BtoB 領域にシフトして会社の形を変えていくことを決め、 2016 年度からの 3 ヵ年中期戦略では「変革への挑戦」を テーマに構造改革に挑戦しています。2015 年にはこの布 石として、英国の産業印刷機メーカー、ドミノプリンティ ングサイエンスを 1,900 億円で買収し、技術者集団を迎 え入れました。 構造改革では、事業ごと一気にリストラするのが合理的 かつ迅速ではありますが、できればその手法はとりたくな いと思っています。日本的な発想なのでしょうが、ある程 度時間がかかることを想定したうえで、 「混合」の形をとっ ています。その中で、限られたリソースを最大活用し、徹 底的に効率化することで新たな顧客価値を創出していきた
「情熱」と 「責任感」を持ち続け “人生を賭ける覚悟 ” で臨む
鈴木:最後に次世代を担うトップや経営幹部の方々への メッセージをお願いします。 小池 : 経営者にとって一番大切なのは、 「心折れることなく、 情熱と責任感を持ち続けること」だと思っています。リー ダーである以上、大勢の従業員が自分の顔を見ているわけ ですから、常に明るく楽しく元気にニコニコしていなくて はいけない、という面での努力は必要だと思いますね。 また、今はグローバル化が急速に進み、ビジネス環境が ますます複雑になってきていますから、 「何百倍ものデー タを自分の頭で必ずダイジェストし、常に迅速に正しいと 思われる判断をし続けること」 が重要な要素です。とくに、 ブラザーは 82 パーセントが海外ビジネスですから、日ご ろからすぐに現地の細かい情報をつかめるだけのネット ワークを張っておいて、迅速な判断ができるようにしてお かなければなりません。 要するに、経営者とは「強靭な体力と精神力」と「飽く なき情熱と責任感」を持ち続けなければならない、という ことです。トップというものは、決して生易しい仕事では ありません。次世代のトップを担う方たちには、そういう 気概を持って臨んでいただきたいと思います。
てこられたこともあり、人を惹きつけるフランクさがとてもさわやかでした。仕事に 情熱を持ち、ブラザーを牽引していく強い想いが溢れていました。大学卒業時点で社 長になるという志を持ち、その想いを初志貫徹なさったことに脱帽です。
小
池社長の印象はとにかくポジティブでした。高い志を持ち、有言実行してき たという自負と自信が感じられました。また、アメリカで多くの人脈を築い
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〜「目先の成果」だけでは終わらせない。本質的な課題解決で会社を強くする〜
ビジネス成果に向けて JMAC が支援した 企業事例をご紹介します。
人を活かし、組織を動かす 「ミドルの自律」が生産現場を変える
プラチナ万年筆株式会社
プラチナ万年筆は 1919 年の創業以来、いつの時代も「こうい うものがほしかった」というユーザーの想いに応え続けてきた。 2011 年に発売した「#3776 センチュリー」も、 「2 年間使わな くてもインクが乾かない」という画期的な機能が好評を博し、大 ヒットした。その爆発的な売れ行きに生産が追い付かず、生産性 向上への取り組みをスタート、半年で生産能力を 2 倍に引き上げ た。その後、さらなる高みを目指して本格着手したのは「ミドル 田俊也氏に、活動の軌跡と今後の展望を伺った。
の自律化」だった。果たしてその真意とは。代表取締役社長の中
代表取締役 社長
中田 俊也 氏
Toshiya Nakata
形で戻していただけたことに感激した」と喜びがあふれて
祖母から父、そして娘へ
いたという。このエピソードをうれしそうに語るのは、プ ラチナ万年筆の代表取締役社長・中田俊也氏だ。 「このお手紙を読んだとき、 『われわれはこういうことの ために万年筆をつくり続けてきたんだな』と感慨深いもの がありました。こうしたユーザー様とのご縁をずっと続け ながら、お客様のお喜びの中でビジネスをしていくことが われわれの使命だと考えています」と話す。 万年筆ユーザーには義理堅い人が多く、しばしばこうし た手紙を受け取るといい、 「私も万年筆でお返事を書いて いるんですよ。忙しい身ではありますが、こういうことは 大切にしたい」とユーザーへの想いを語る。 文字を書く――その日常行為が、万年筆を使うことで特
受け継がれた 1 本の万年筆
「この手紙は、祖母が 60 年前に愛用していた『オネス ト 60』でしたためています」――30 代前半の女性からプ ラチナ万年筆に手紙が届いたのは、取材のつい 1 ヵ月前 のことだ。祖母の形見として父が大切に保管していたその 万年筆は、自分が譲り受けたときにはペン先からインクが 出なくなっていたという。地元の文具店経由で修理に出す と、 「おばあさまの形見につき部品交換不可」と但し書き がついて手元に戻り、修復されたペン先からはインクが出 るようになっていた。文面には「祖母が使ったそのままの
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別なものに変わる。書き心地やデザインなど、感性に訴え る逸品は持つのも楽しい。いつかは持ちたい憧れの品とし て贈答品に選ばれることも多く、誕生祝いや就職祝い、自 分へのご褒美など、所有のきっかけや想いはさまざまだ。 「万年筆は筆記用具でありながら、使用価値以外の特性 がたくさんあります。私はこれを『使用感の価値』と呼ん でいます」と中田氏が語るように、万年筆は筆記用具の中 でも特別な位置づけにあるといえよう。 と事態は急展開する。 このときの様子を藤井は「車中では社長の隣でお話を伺 いながら何が課題かを想定し、現地では “ 欠品の主な原因 は何か ”“ 生産管理や設備・人の能力に問題があるのかど うか ” に絞って観察しました」と振り返る。帰りの車中で はさらに話が進み、 「今の製品群とその先の発展形はどう したらいいのか」などについても議論した。 中田氏はこのときすでに、JMAC に依頼しようと決め ていた。 「車中で私がつらつらと話したことに対しても的 確なレスポンスがありましたし、非常に常識的でマイルド な人柄にも惹かれました。現場のことをよく知っていて、 ペーパーワークだけではなく行動でしっかり示してくれそ うなところも良かった」とその理由を説明する。 こうして 2013 年 2 月、 プラチナ万年筆は JMAC をパー トナーとして生産性向上に向けた活動をスタートした。
大ヒット商品の生産が追い付かない! 生産力をアップせよ
プラチナ万年筆の歴史は古く、創業は今からおよそ 100 年前の 1919 年(大正 8 年)に遡る。中田氏の祖父であ る俊一氏が万年筆事業に着手したことに始まり、1931 年 (昭和 6 年)には当時としては先駆的なカタログ通販を開 始して経営を軌道に乗せた。さらに 1957 年 (昭和 32 年) には “ インク出を自動調整するペン芯 ” を完成させ、世界 に先駆けてカートリッジインク式 「オネスト 60」 を実用化 ・ 発売した。先の手紙に登場した万年筆である。プラチナ万 年筆の愛用者への想いとそのパイオニア精神は、今もなお 脈々と受け継がれている。 中田氏は 2009 年、3 代目の代表取締役社長に就任した が、かねてより長年温めてきた構想があったという。 「それまで多くの顧客訪問をする中で『久しぶりに使お うとしたらインクが固まって出ないんだよね』という声を 本当にたくさん聞いてきたので、これを解決したいと思っ ていました」と語る中田氏。この発想をもとに開発された のが、 2 年間使わなくてもインクが乾かない 「スリップシー ル機構」だ。2011 年にこれを搭載した「#3776 センチュ リー」 を発売すると、 この画期的な構造は市場に驚きを持っ て迎えられ、大ヒット商品となった。 しかし、 ここで新たな課題が出現した。 「#3776 センチュ リー」が飛ぶように売れたため、生産が追い付かなくなっ たのだ。 「欠品が続き、とにかく困っていた」と当時を振 り返る中田氏。問題の解決には外部コンサルタントが必要 だと考えたが、それまでの経験から「期待に応えてくれる コンサルタントを見つけるのは難しい」と感じていたとい う。しかし、取引銀行系列のアドバイザリー部門からの紹 介を受けて JMAC シニア・コンサルタントの藤井広行に 会って話をしてみると「藤井さんが非常に良くて、その日 のうちに一緒に群馬と越谷の工場を回りました」 (中田氏)
理想と現実のギャップを埋める
着実な活動で生産能力が 20 倍に
万年筆のメイン部品は「ペン先」で、これがなければ次 の組立工程に進めない。当時、供給不足の主な原因はその 生産能力不足にあったため、まずはペン先の生産能力向上 を目指した。対象となったのは群馬工場と越谷工場で、群 馬工場はペン先の生地づくりなどの前工程を、越谷工場は そのあとの細かなペン先加工を担っている。 活動を始めるにあたり、最初に工場診断を行った。工場 内の「工程」や「作業」を分析して能力を測定し、 「本来 発揮できる能力」と「現状の能力」の差異はどこにあるの かを調査する。そのうえで、能力のギャップのあったとこ ろを改善していった。 主な改善点は次の 3 つである。 ①資材調達ボトルネック改善(前工程からスムーズに部品 インクが乾かない「スリップシール機構」とは?
普通の万年筆はキャップの開閉でインクが吹き出さない ように通気を持たせた開放構造になっているため、時間が 経つとインクが乾いてしまう。この万年筆の「最大の欠点」 を解決したのが、 「スリップシール機構」だ。回転ねじ式 のキャップにより、耐久性も考慮され た完全機密性を保持する仕組みである。 これにより耐水性・耐光性が高い顔料 インクも安心して使えるようになった。 「インクが乾いて書けない」という不満 を「いつでも書ける」喜びに変えた、 写真提供:プラチナ万年筆 画期的な技術である。
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を供給する) ②品質調整作業改善(治具を改良するなどして、あるべき 方向に変えていく) ③生産スケジュール改善 (毎日の出来高目標を決めて、 キー マンがスケジュールコントロールを行う) 工場に入って、製造技術の提供も含めた支援を行った藤 井は「きわめてオーソドックスな方法をみんなできちんと 実践していくことで、生産性向上を目指しました」と説明 する。毎月の定例報告会で活動の進捗状況を聞いていた中 田氏は「JMAC にいろいろ指摘を受けて、 『できて当たり 前だと思っていたことが、実はできていなかった』といっ た多くの気づきがありました」と振り返る。 こうして活動を続けてきた結果、ペン先の生産能力が現 在では 20 倍まで引き上げられ、供給不足が少しずつ解消 され始めた。 で実践を重ねた。たとえば「この会議にはどういう企画を 出して、そのためにはどのテーマを誰に与えて、それをど うやってフォローしていくか」といった一連のマネジメン ト業務を仕事の中で経験し、 方法や考え方を習得していく。 この活動は 2016 年 3 月まで行われた。藤井は「その 後も、ミドルのみなさんは勉強会などで定期的に考える機 会を持ち、さらに力をつけていきました。現在では当初の 20 倍の生産能力がついています。もうわれわれが何もし なくても、みなさん自身の力でものをつくれるようになり ました」とその成果を語る。 中田氏は「それでもやはり、ミドルの育成は難しい。そ の少し上のミドルの問題や次世代をどう育てるかの問題も あるので、課題は尽きません」と話し、 「企業にとって人 材育成は一番大切で、永遠のテーマでもあります。人が強 くならない限り、企業は強くなりません。何ごとも、内向 きになるのが一番良くない。ミドルに限らず、みなさんに はもっと外に目を向けて、リスクを恐れず、自ら考えて能 動的に動ける人材になってほしいですね」と語る。
「ミドルの自律」で会社を強く 本質的な課題はここだった
この活動に続き、 次は資材調達の構造改革に着手したが、 なかなか運用の仕組みを定着させることができなかった。 この状況から「運用が定着しない原因は、工場の維持管 理を行うミドルのマネジメント力不足にあるのではない か」と考えた中田氏は、JMAC 支援のもとミドルのマネ ジメント力強化にも注力していった。キーワードは「ミド ルの自律」 。マネジャー自身が結果を出すのではなく、う まく人を回しながら答えを出していけるよう、OJT 形式
“ 手仕事 ” と “ 工業化 ” のはざまで 万年筆ゆえの面白さと難しさ
こうして生産能力を 20 倍に引き上げたプラチナ万年筆 であるが、販売数も順調に伸びているため、未だ慢性的な 供給不足が続いている。さらに合理化を進め、効率的な生 産をしていく必要があるが、そこには万年筆ゆえの難しさ もある。
ペン先加工の代表的な工程(14 金・18 金) ❶
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資料提供:プラチナ万年筆
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というのも、生産性向上のカギとなるペン先加工では繊 細な手仕事も多く、 人の手を介した工程は 50 にもおよぶ。 また、万年筆はその「デザイン」や「精緻なつくり込み」 など “ 人間の感性に訴える部分 ” が大きな商品価値となる ため、単なる工業製品ではなく工業製品+αの部分も考え なければならない。この付加価値の部分を工業的につくる のは非常に難しい。たとえば、ペン先の材料になる金を磨 いて光沢を出すことひとつとっても、人の手と同じ加減を 機械が再現するのは容易ではない。 「それをできるだけ工業化していくのがわれわれのチャ レンジでもあり、その中でどうやってつくっていくかが万 年筆の面白いところでもあります」 (藤井) 。 中田氏は「ペン先工程にはとても手間がかかり、一番厄 介な加工工程なのですが、やはり加工はメーカーにとって 非常に大きな要素ですから、実はそこが大切なところかも しれませんね。たとえば、万年筆を手で空書きしてペン先 の具合を検品するなど、手仕事の大変な部分、そういう 『ハート』があるような部分は、これからも大切にしてい きたいと思っています。どこを合理化して何に付加価値を つけるかを明確に分けて、工場のみなさんにもそれがわか るような状況にしていけたらいいですね」と語る。 ン先がほしかった』というものをつくり、定番化してほか のペン先のラインナップに入れていく、といった連続性を 持たなくてはいけない。次の 100 年に向かって 101 年、 102 年と日常茶飯でアーカイブを積み上げていくことが 一番大切です」と視線はすでに次の 100 年にある。 プラチナ万年筆は現在、ハードの革新を一気に進めてい る。藤井は「今後、かなり高度な設備を導入して『世の中 にないもの』を『世の中のつくり方とは違う方法』でつく ることに挑戦します。これが外部のみならず社内へのア ピールにもなって、みなさんが『今よりワンランク上の仕 事をしないとついていけないな』と刺激を受けることを期 待しています。3 年後の 100 年目までには土台をつくり たいですね。今その第一プロジェクトが動いているところ です」と今後の展開について語る。 中田氏は、 「最新式の機械を導入して、工場のみなさん がドキドキワクワクしながら仕事ができるような環境をつ くってあげたいですね。これは藤井さんのプロジェクトを 見て、いつも私が想いを馳せていることなんですよ」と楽 しそうに語る。 「それから、みなさんにはもっと『自分た ちはこんなにすごいものをつくっているんだ』という自信 を持ってほしいですね。社員の心に火をつけるのが経営者 の仕事だと思いますし、やっぱり仕事は面白くなければい けません。そういうところから、新たな発想が生まれてく るのではないでしょうか」と社員への想いと期待を語る。 次の 100 年を見つめ、新たなステージを目指すプラチ ナ万年筆。時代は変わり、幾多の変革を経ても変わらない ものがある。ハートからハートへ。彼らの熱いハートがつ むぎだす万年筆は、これからもユーザーのハートをとらえ 続ける。
そして プラチナ のように輝こう! つくろう 明日のプラチナを みんなで
次の 100 年を見つめ、 社員のハートに火をつける
プラチナ万年筆は、2019 年に創業 100 周年を迎える。 中田氏は「100 年は大切な節目ではありますが、次の 100 年への通過点に過ぎません」と語り、 「100 周年記念 の万年筆をつくるときにも、お客様にとって『こういうペ 担 当 コ ンサルタントからの一言
藤井 広行
シニア・コンサルタント
ものづくりは「基本に忠実」であるべき
ものづくりのすべては、基本の積み上げで成り立っています。奇をてらった 策は成功しません。プラチナ万年筆の皆様にも、常に基本に忠実に「なぜで きないか」を考えることを勧めてきました。ものづくりは、材料に物理・化
学法則に則った変化を与えているに過ぎないからです。工場で起きる問題は 原理・原則から逸脱したところで発生します。それを見つけて本来の姿に戻 す行為がマネジメントであると言えます。問題に気づき、基本に忠実に考え に戻ろう』という言葉を贈りたいと思います。
行動しよう!——創業 100 周年を迎えるにあたって、次の 100 年も『基本
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人と組織(チーム)の力を最大化することを目的に JMAC が 支援した企業事例をご紹介します。
「若手の発想」 が会社の未来をつくり出す 先進の事業探索が今、走りだした
〜「自分たちの 10 年後」を見据え、 「未来志向の事業」につなげていく〜
「クリエイティブな発想」で 既成概念を打ち破れ !
広島市に本社を置く総合医療機器メーカー、ジェイ・エ ム ・ エスは「輸液輸血」 「血液透析 ・ 腹膜透析」 「循環器」 「医 療用一般用品」 という 4 つのフィールドで独自技術を持ち、 製品の開発・製造・販売までを一貫して行っている。 同社はここ数年来、 「既存事業に加えて、今後どのよう な周辺事業を展開することができるか」を模索し続けて おり、社外のさまざまなセミナーに参加する中、2010 年 に参画した JMAC の「将来の事業展開を考えるセミナー」 が活動のきっかけとなる。 このセミナーに参画し、のちにプロジェクトの推進役と して事務局を担った中川宜明氏(研究開発統括 中央研究 所 研究管理室室長)は、 「セミナー講師とディスカッショ ンする中で、 『新たな事業展開をするときに、知識のある 人が中心になってもなかなか殻は破れない。その人たちが しっかり仕組みをつくって、若手の柔軟な頭で考えていく 展開をすべきではないか』との話に共感し、 そこから、 『若 手の発想をどう活かせるか』ということを具体的に考えて みようと思ったのが活動のきっかけでした」と語る。 後日改めて JMAC と話し合いを重ね、支援を依頼する ことに決めた中川氏は、 「やはりわれわれは技術者ですか ら、 『技術目線を活かし、医療の現場で本当に何が必要な ものかを提案する』という方向性を軸に、当社に合った支
援プランを構想の段階からしっかり打ち出していただけた ところがよかったですね。この活動で、若い技術者が自ら クリエイティブな発想ができるような仕組みをどうつくっ ていくか、 そのきっかけを生み出せるメンバーも選出して、 実現に向けて若手目線でトライしていこうとスタートしま した」と語る。 こうして 2011 年、ジェイ・エム・エスは JMAC をパー トナーとして、“ 若手の発想 ” を活かした新規事業開発へ の取組みをスタートした。
「10 年後にどうなりたいか」を 本気で考えたことはあるのか ?
活動にあたり、まずは将来のテーマ創出に必要な “ 考え 方 ” や “ 手法 ” を習得するところから始めた。まずは何を 目指したいか。 医療現場の視点に立ったビジョンの構築法、 また現実と結びつける「仮想カタログ」展開をジェイ・エ ム・エス流にカスタマイズして将来開発したいものを製品 カタログとして描き、チームで練り上げていく。 通常の研究業務に加え中長期で行うこの活動では、将来 の幹部候補への期待を置ける者や、 自ら手をあげた者など、 + αの活動に入れる “ やる気のあるメンバー ” を集めた。 しかし、それでも最初のころは、宿題をやらされていると いう “ やらされ感 ” や、 「コンサルタントは外から見て好 きなことを言うだけでしょ」 という雰囲気があったという。
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株式会社ジェイ・エム・エス
これまでにない新しい事業を展開するためには、いったい 何が必要なのか――既存事業の成熟期を迎えた企業にとっ て、そこからさらに新しい発想を得ることはなかなか難し い。ジェイ・エム・エスは、このテーマに対して “ 若手の 発想 ” を活用した新規事業開発にチャレンジしている。若 手の自由な発想力を伸ばし、未来志向の事業につなげるた 理解」をどのようにして得ていったのか。その活動の軌跡 と今後の展望をお聞きした。 めの方法とは。そして、実現化のために必要な「経営層の
研究開発統括 中央研究所 研究管理室 実験室 デザイン包装室 室長
中川 宜明
Noriaki Nakagawa
氏
ところが、実際にコンサルタントが入ってくると、メン バーの意識は徐々に変わっていった。中川氏はその様子 を、 「 『あなたたちは 10 年後に自分たちが経営に参画した 際、どうなりたいか本気で考えたことがありますか』と自 分たちの痛い腹の底を突かれても反論ができないんです ね。そういうところに火をつけると奮起するメンバーたち が集まっていたので、 『それなら、 やってみようじゃないか』 とモチベーションは上がっていきました」と語る。 そしてメンバーたちは、ディスカッションを重ねるにつ れ、コンサルタントに強い信頼を寄せるようになっていっ た。 「次回までにココをもっとつめてきて」とチームに宿 題が出る中でメンバーの連帯感は強まっていき、活動はさ らに加速した。 メンバーの意識改革について中川氏は、 「上からの指示 に従って動くのではなく、 『将来は自分たちでつくってい く』という発想に切り替えていくには、非常に時間がかか ります。本に書いてあるような概論を話すより、 『実際に 自分たちで考え、形にしてフィードバックを受けて、さら に別の角度から考えてみる』ことを繰り返す方が効果的だ と考えていました。ですから、JMAC には『ダメなとこ ろはダメ』とはっきり言っていただきました。この最初の 段階で『自分たちが考えていかなければいけない』という 発想をしっかり持てるようになって、自ら活動する行動力 と共に、手法もかなり定着していきました」とその成果を 振り返る。
実現へのターニングポイント 「経営層の GO サイン」への道
「仮想カタログ」研修を通して「将来こういうものをつ くりたい」という想いを醸成してきたメンバーたち。次の ステップでは、より専門的な領域で発想力の強化を図り、 新規事業の実現に向けて取り組んでいった。 もっとも、事業化を実現するためには「経営層の GO サイン」が必要不可欠だった。 「経営層は当初、今までの 路線とは違う新しい発想に対して相当違和感を持ったはず です。また、 若者の提案はまだまだ情報不足の感が否めず、 継ぎ足す必要がありました。会社として動くには『経営層 の理解』と『提案のレベルアップ』の両方の課題をクリア する必要があったのです」と語るのは、 自身も役員であり、 事務局として経営層とのパイプ役となった佐藤雅文氏(取 締役 研究開発統括部長 兼 中央研究所所長)だ。 では、どのようにして 経営層の理解を得ていっ たのか。中川氏はまず、 経営陣に対し、将来担う 開発人材の育成の重要性 と、それを進める考え方 の重要性を説明するとこ ろから始めた。さらに、
佐藤 雅文 氏(取締役 研究開発 統括部長 兼 中央研究所所長)
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経営層と活動を結びつけるため、 「テーマ検討にマイルス トーンを設け、一定の段階になったら役員も入れてその テーマの Go/Stop のポイントを一緒に検討するという作 戦をとった」という。 佐藤氏は「2 回目の説明を受けたころから、経営陣の様 子は少しずつ変わっていきました。また、若い技術者たち は研究テーマ実現のために周辺情報を調べる中で初めて、 ビジネスという単位で考えたり、もっと奥深い技術の探求 ができたりしたようです。彼らは経営陣と技術者、両方の 目線から考えることができるようになり、提案もレベル アップしていきました」と評価する。 そうした中、 この流れを一気に加速する出来事が起こる。 メンバーたちが、ある新しいテーマの検討をした際に、事 業そのものが抱える大きな課題を提案した。 「これには経 営層も非常に関心を持ち、 『事業全体の早急な立て直しが 必要だ』と大きく方向が変わりました。今、それをベース に改革が動いているところです」 (佐藤氏) 。
「+ αの特別な活動」が自走で 「ルーチンな活動」に !
現在、この活動はすでに自走に入っている。3 つのチー ムを結成したメンバーたちは毎月 1 回全チームが集まっ て互いの進捗や直面した課題をプレゼン、他のチームで の経験も活かしながら互いに切磋琢磨している。 「今では、 メンバーが主体となって、将来自分たちが実現したい夢に 向けての検討プランを具体化、マイルストーンを自ら設定 し、能動的な活動としてその活動に対するどんどん自走し ていけるようになりました。われわれも活動プランとメ ンバーのやる気を考慮し、予算もしっかりつけて、JMAC より指導いただいた観点をベースにメンバーへ助言するな ど自立化を図っています」 (中川氏) 活動成功のポイントについて中川氏は、①「自分たちで 考える」という発想に変えていくこと、②理想を現実につ なげる考え方と手法を身につけること——の 2 点をあげ る。とくに②については「将来こうしたいという理想を現 実につなげるために 『仮想カタログ』 『樹形図』 『ウォーター フォール』 などの考え方や手法を定着させました」 と語る。 「ウォーターフォール」は、各工程を段階的に検討し、前 の工程に戻らない開発手法で、現在では全事業にこの手法 を根づかせていくことが事業改革の骨格にもなっている。 佐藤氏は、 「今ではメンバーたちが普通にこれらの手法 を取り入れ、自分たちのルーチンで活動が動いているとこ ろが一番の成果だと思います。活動当初は + αの活動に 入るということで、自分の職場での立ち位置に戸惑ったこ ともあったようですが、事前に問題点をしっかり抽出し、 メンバーを含んで活動する前の段階がブレなかったところ がよかったですね。当社だからこそ抱えている問題を最初 にしっかり共有することが重要かなと思います」と述べ、 「毎年、この活動に入りたいと手をあげる人が現れて、新 しいメンバーを少しずつ入れています」と、活動が次世代 そして未来へと徐々につながっている実感を語る。
活動から何を得たか?—リーダーの声①
これまでの活動とは違う試みを感じたので、最初は 率直に面白そうだなと思いましたが、何をすればいい たちの考えをまとめるのに苦 のかという不安もありました。年上、年下のメンバー 労しましたが、議論すること で研究室の “ 壁 ” を超えた検 討会も可能になりました。技 て、マーケティングの要素や 経営者の視点で見れるように
中尾 典彦 氏 中央研究所 第 4 研究室
術的な課題解決にプラスし
なったので、今は国内だけで すが、将来は海外をにらんだ 開発を目指したいですね。
活動から何を得たか?—リーダーの声②
参加しているメンバーの話を聞いて、面白そうだと 手をあげて途中から加わりました。リーダーになった ときは一番年下で、メンバーの意見を調整するのに苦 オデザインの手法でベクトル 発化してまとまるようになり 労しましたが、JMAC やバイ を合わせることで、議論も活 ました。リーダーとしての責 任感も生まれ、これからの市 まだこの力を伸ばしたいです
大住 和馬 氏 中央研究所 第 3 研究室
各世代が想いをつなぎ 自分たちの 10 年後をつくっていく
新しい世代が自ら会社の将来をつくっていく環境が芽生 えた今、ジェイ・エム・エスは本活動で培った発想力や手 法を基盤として、さらなる挑戦を続けている。 たとえば、 国が推進し、 産学連携で取り組まれている「バ
場を見る力も得たので、まだ ね。これからも継続して実践 していきたいと思います。
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イオデザインプログラム」への参画も新しい挑戦のひとつ だ。このプログラムの目的は、現場目線でニーズの本質を つかみ、それを医療機器のイノベーションにつなげるとこ ろにある。中川氏は「これまでの、 『何が必要ですか。競 合他社より少しでも良いものを』といった顕在するニーズ から、医療現場で当たり前にやられる行為に潜む潜在ニー ズを技術者自らが見出していくことで、起承転結の転を変 えていく取組みの重要性を感じています。われわれには JMAC に教わった考え方や手法という実現に結び付ける 手段のトレーニングを積み重ねており、これとバイオデザ インの考えの融合がポイントです」と説明する。 続けて中川氏は「普通は、 『10 年先のことを考えても何 が起こるかわからないから無駄ではないか』と思いがちで すが、 『10 年先にはどうしたいか』をしっかり考えて現実 路線に落とし込んでつなげる、という発想に切り替えがで きるようになってきました。 『このテーマでこんなことが できる』とワンランク上の提案ができるようになり、いく つかのテーマはすでに具体化しています。メンバーたちに は、これからもさらに積極的に取り組んでいってもらいた いですね」と期待を込める。 佐藤氏は、 「こういうことを考えて取り組んでいく人間 を代々つくっていくことは非常に重要で、われわれにとっ ての一番の課題だと考えています。JMAC には引き続き 事業全体の見直し改革に力を貸していただいていますが、 われわれ自身が将来に対する危機感を持ち、若手のみなら ず各世代が『自分たちの 10 年後をつくっていく』という 継続した会社にしていかなければなりません」と未来を見 据える。 人・事業・未来――人と事業をつなぎ、未来につなげて いく――“ 若手の発想 ” を活かし、未来志向の事業展開を 担 当 コ ンサルタントからの一言 目指すジェイ・エム・エスの新しい挑戦は、今始まったば かりだ。
井手 純一 氏 中央研究所 第 4 研究室 林 裕馬 氏 中央研究所 第 1 研究室
活動から何を得たか?—リーダーの声③
将来を見据えて若い人たちが活動していくことの面 白さを感じました。目に見える成果は 5 年 10 年先か ます。私のチームは個性の強 もしれませんが、その間に人が育つことに意義があり い メ ン バ ー ば か り で、 誰 が リーダーでもおかしくないく らい、みんながサポートして くれたので、ひとりで悩むと いう感じはなかったですね。 自分としては、世の中の動向 の精密なデータを集め、分析
してチーム内に発信できるよ 岡本 恭典 氏 うになったことが収穫です。 中央研究所 第 2 研究室
バイオデザインプログラムを実践してみて
井手氏:以前は技術のシーズ目線での研究でしたが、 バイオデザインによってニーズを常に意識するように なりました。自社だけでなく外部の力を積極的に取り 入れる発想も出てきました。
林氏:ニーズのウェイトが重くなり、ニーズの言葉の 意味をもっと突き詰めて考えるようになりました。社 内にいながら “ 起業家 ” として事業を起こすチャレンジ が可能になったと感じます。
技術が事業に もたらす価値を 考え続けよう
今日の研究開発者に求められる起業家精神
かつては、ある技術を特許化して儲けるモデルが主流でしたが、今日の成熟市
チーフ・コンサルタント
高橋 儀光
場ではそれが通用しなくなっています。こうした流れの中、研究開発者には特 定の技術分野を深掘りするだけでなく、起業家の目線で事業機会を捉え、自社 ならではのビジネスの創出を求められるようになりました。ジェイ・エム・エ ス様は全自動透析システムをはじめ、数々の先駆的な技術開発で医療の発展に 貢献してこられました。これからは一連の活動に参加された専門技術と起業家 精神とを併せもった次世代リーダーたちを起点に、常に新しいビジネスを考え ることが会社の「当たり前」になることで、さらに飛躍されることでしょう。
シニア・コンサルタント
細矢 泰弘
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経営基盤の強化に向けたさまざまな取組みについて、 JMAC が支援した事例をご紹介します。
〜品質保証教育体系の再構築で「ありたい姿」を実現する〜
「プレミアム品質」 への挑戦 Y Q M の実践と課題
ヤンマークオリティマネジメント
時代の先端をいく魅力的な商品・サービスを創出する裏
なぜ今、 「品質第一」なのか?
ヤンマーは 1912 年(明治 45 年) 、ガス発動機の修理・ 販売を行う 「山岡発動機工作所」 として創業した。ヤンマー といえば農業用トラクターがなじみ深いが、農機のほかに 大型船のエンジンや建設機械、エネルギーシステム、マリ ンプレジャーなど、創業以来 100 年以上受け継がれてき たエンジン開発技術を生かし、さまざまな分野で事業を展 開している。 創業時からヤンマーの「品質」にかける思いは強く、 1963 年に 3 代目社長となった山岡淳男氏は、市場に送 り出すすべての商品は「一貫した品質管理のもとで、一 貫した品質が保証されたものでなくてはならない」とし、 YQM(ヤンマークオリティマネジメント)と命名した総 合品質管理活動を導入した。 この活動の特徴は、対象を生産部門だけにとどめず、 ヤンマーグループの全部門としたところにある。結果、 1968 年には権威ある「デミング賞」をエンジン業界とし て初めて受賞した。 それからも事業の成長を続けてきたヤンマーであった が、グローバル市場への展開、顧客要求の多様化への対応 などの環境変化を受け、品質の捉える範囲が広がり、従来 の取組みだけではカバーしきれなくなってきた。
側には、確固たるベースが必要であり、その足元を固める うえでも「今こそもう一度 YQM の理念に立ち返り、すべ ての事業部門で品質改革を推し進めなくてはならない」と 考え始めた。 その背景について、本活動における品質保証教育の担い 手である野田康宏氏 (品質保証部 企画グループ 専任部長) は「昨今では、とくに企業コンプライアンス事案が企業の 存続を左右するため、改めて品質に関する考え方を隅々ま で浸透させる必要があった」と語る。
品質保証教育の 再体系化におけるポイント
ヤ ン マ ー は も と も と 3 年 前 か ら、ア グ リ 事 業 部 で JMAC の支援のもと品質問題に取り組んでおり、並行し て「設計品質向上研修」を立ち上げてきた。 この設計品質向上研修をきっかけとし、全事業部門に展 開したのが今回の品質保証教育であるが、なぜ全事業を巻 き込む取組みにつながっていったのか。 これについて、設計品質向上研修を立ち上げ、今回の活 動も支援する JMAC チーフ・コンサルタントの渡部訓久 は「デミング賞受賞以来、ヤンマーさんの約 50 年間の品 質改善活動と品質ロスコストの推移を振り返ると、効率と
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ヤンマー株式会社
ヤンマーは 1968 年、品質に関する権威ある賞、 「デミング賞」をエンジ ン業界で初めて受賞した。それを支えたのは、YQM(YANMAR Quality Management:ヤンマークオリティマネジメント)と命名された全社あげて の総合品質管理活動だった。50 年経った今、改めて「品質第一」を掲げたヤ ンマーは、品質保証教育の再体系化に取り組み始めた。品質革新ロードマッ プと教育体系の関連づけや、各事業体への説得など、緻密な計画と準備が行 われ、徐々に品質意識の向上が進みつつある。 「プレミアム品質」へ挑戦する べく、品質保証教育再体系化への軌跡、そして今後の展望などをお聞きした。
野田 康宏 氏 Yasuhiro Noda
品質保証部 企画グループ 専任部長
スピードが重要視されて、品質改善活動が停滞した時期も あったようです。熱心に取り組んでいたときには品質水準 がしっかり維持されていて、少し手を緩めるとこれを維持 しにくくなる傾向があることがわかってきました。ですか ら、今まさにもう一段高い品質水準を目指すのだったら、 改めて『ヤンマーといえばこの活動だ』と言われるような 全社的な取組みを仕掛けるべきだと考えました。まさに、 『プレミアム品質』への挑戦です」と説明する。 野田氏は 「私は、 『知っていること』 と 『できていること』 とのギャップを認識し、このギャップを埋め続けていくこ とで真の実力がつくと思っています。ですから、この教育 を全社に広げて実力の底上げを図っていきたいと思い、活 動を始めました」と振り返る。 こうして 2015 年、ヤンマーは JMAC とともに全事業 で本格的な品質保証教育を展開するべく、大きく舵を切っ たのである。
そこで、 「品質を確固たるものにするためには、各種手 法の知識教育だけではなく、人づくりそのものが重要であ る」という観点から再構築を行った。 野田氏は「教育体系をつくる前に、まず品質マネジメン トシステムの成熟度の再定義やヤンマーの向かうべき方向 性をしっかりと議論し、品質革新ロードマップを策定しま した。その中で、品質保証教育の位置づけを明確にしてい きました」と説明する。 また、この教育の目標について野田氏は、 「最終的に目 指すのは『定着』です。学ぶことだけが目的ではなく、学 んで実践して定着して初めて効果が出るので、 『定着する までしつこくやる』ことが大切だと思っています。受講者 自身もわれわれ仕掛ける側も、 『しつこさ』を前面に出し 続けていきたいと思っています」と述べる。 渡部も「 『1 日、2 日の座学でいろんな手法を学んで、 あとは職場に戻ってそれを実践してください』という掛け 声だけで終わることなく、教育を起点に、品質改善サイク ルがある程度回り始めるところまで『しつこくフォローし 続ける』ことにこだわりたい」と説明する。 それでは全員参加型で取り組むために、各事業体にはど のような働きかけをしていったのであろうか。 「まずは事業体の意見を聞くべきだと考え、各事業部の 品証部長から意見を伺いました。さらに本社の生産本部や 研究開発本部など、品質のつくり込みに密接に関わってい る部門や全社経営革新プロジェクトメンバーからも幅広く
品質改善サイクルを回すべく 「定着」した教育を目指す
活動を始めるにあたり、これまでの教育体系を振り返る と、①教育メニューは多岐にわたるが体系的ではない、② 各教育項目が実務でどれだけ成果につながっているかが不 明確である——ということがわかった。
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意見を聞いて、みなさんの意見を総合的に生かせるような 形にしました。最後は、トップ方針として打ち出していた だき、全社方針として品質保証教育を推進することになり ました」 (野田氏)
ストも、かなり難しい内容にもかかわらず理解が進んでい るようです。何よりも研修に取り組む姿勢と進め方が積極 的になってきているのがとても頼もしいですね」と順調な 進展ぶりを語った。
実践でレベルアップ! 組織的な取組みへ変化
こうして構築された品質保証教育体系のもと、現在は多 くの事業体でベーシックコースの知識編の研修が進められ ており、毎回、開発や生産、品管、品証、CS(サービス) などの部門から 20 人ほどが参加している。 野田氏は、研修の様子を次のように語った。まず、最近 の変化については「開発部門に向けた研修に製造部門の人 が参加するなど、部門の垣根を超えた積極的な取組みが増 えています。いろいろなところに自らアプローチして『お 客様の意見をこのように製造でも反映できるね』と意見交 換するなど『みんなでいいものにしていこう』という熱意 を感じています。いろいろなところで予想以上に共創が進 んでいるのがうれしいですね」と話す。 また、組織的な活動定着への期待について「ある事業体 では、派遣責任者の責任感が非常に強く、責任者も毎回参 加して、一緒にいろいろと考えてくれます。演習テーマを 決める際も、事業部に合った演習テーマになるような提案 やデータを提供してくれるなど、非常に協力的な形で参加 していただいています」と感謝の意を込めて語る。 研修の成果についても「スタート時と比べると、意識的 にツールを使ったり、実務にも応用したりと、実践を通し てかなりレベルアップしてきています。毎回行う理解度テ
理想のままで終わらせない 「ありたい姿」 を実現する教育を
品質保証教育では、ベーシックコースの次のステップと して、マネジャーコースを 2016 年下期からスタートさせ ている。 これについて渡部は「ベーシックコースで学んだ内容を 実務で実践するためには、マネジャーのバックアップは必 須です。部門間連携や、品質のつくり込みプロセス全体の 改善、近視眼的ではなく、中長期を見据えた改革施策の実 践などを期待します」と説明する。野田氏は「すでにベー シックコースで自主的な部門間連携をし始めているので、 マネジャーコースでそれを加速していけるのはとてもいい ですね。研修前はなかなか難しいと思っていたのですが、 こうありたいという理想形を今、実現しつつあると感じて います」と語る。 また、今後の課題について、髙畑泰幸氏(執行役員技 監 品質保証部 部長)は「品質問題においては未然防止へ の取組みが重要です。実際に品質ロスコスト削減の効果を 出すまでには長い目で見た取組みが必要ですが、品質保証 教育が未然防止につながるカリキュラムになることを期待 します。また、ビッグデータ解析のような新技術も出てき ており、蓄積された品質情報をうまく活用して、素早くク レームを検知できるシステムをつくっていくことも必要だ と思っています。クレーム検知までの時間を短縮できれば コストは必ず下がるので『未然防止への取組み』と『問題 発生後の対応スピード』の両輪で進めていきたいと思って います」と話す。 現にある事業体でそういった声を多く聞いているという 渡部は「まずは、品質を第一に考える人、組織、風土など の品質改善のベース確立が必要で、そのうえで新たな仕組 みやツール構築を目指したい」と述べ、野田氏は「これま でに蓄積されたデータの解析技術の構築も含めて実行して いくことが必要だと考えています」と見解を述べた。
髙畑 泰幸 氏 (執行役員技監 品質保 証部 部長)
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次世代のリーダーを育て 「プレミアム品質」を永続する
これからの活動について野田氏は「この活動の持続的成 長を図っていくためには、 『学習する組織』に変えていく ことが必要です。学習してこそ改善ができるというところ を、みんなで共有して働きかけるような組織体になれば、 将来に向けて永遠にサイクルが回っていくのではないかと 思います」と語る。そして、今後の望ましい活動のあり方 について「品質改善の基本は踏襲しながら、時代時代で目 標値も技術・品質レベルもどんどん上がっていくので、そ れを自分たちで学びとりながら、クリアしていくことが大 切だと思っています」と述べる。 「品質改善サイクルや活動自体にドライブをかける品質 保証部門の人は、常に先端を見ている必要があるので、か なりたいへん」 (渡部)ではあるが「そういう意味では、 いつの時代でも『高い目標、高い視座』を持って臨まなく てはいけないし、われわれ自身が『これくらいでいいか』 と思ってはいけないのです」 と野田氏は意気込みを見せる。 今後の展望について野田氏は「これからは事業ごとに伝 道師や社内講師を育成していくことが課題です。今回の研 修でたくさん育成し、その人たちがリーダーシップをとっ てドライブしていけるような形に持っていきたい。近い将 来には、ヤンマーとしての制度、仕組みであるという位置 づけで、人事制度の一環として組み込んで、活動を永続で きればと思っています」と語る。 さらに、JMAC について野田氏は「いろいろなコン サルタントとお付き合いしてきましたが、一言でいうと 約 50 年前の YQM の理念に立ち返り、全社的な品質教 育再体系化へ着手したヤンマー。今日も、全国のどこかで 熱気を帯びた研修が行われている。ヤンマーの「プレミア ム品質」への挑戦は、今、始まったばかりだ。 JMAC は非常に稀有な存在です。コンサルタントに対す るイメージがガラリと変わりました。前向きな議論ができ て実行力もある。成果もしっかり出しながら、親身になっ て柔軟に対応してくれるところもいいですね。すでに出来 上がっているカリキュラムについて相談をしても『こうい うふうにしてみましょうか』と検討してくれて、少しでも ヤンマーにとっていいものをつくろうという思いを感じて います。1 サイクル目の研修後に相談して、2 サイクル目 が始まる前にカリキュラムが見直されていたときは驚きま したし、うれしかったですね。かなり中身の濃い支援を してもらっていますので、とても満足しています。JMAC にはこれからも、同じ目標に向かってサポートを続けて いってもらいたいと思います」と期待を寄せている。
(写真提供 : ヤンマー) ▲研修では毎回白熱した議論が展開される
いきましょう!
しつこく実践して
足元固めを
未来起点での
品質を基軸に
担 当 コ ンサルタントからの一言
品質を “ 改善の旗 ” とする !
顧客からの期待に高いレベルで応え続けるには、ものづくりに関わる全部 門での取組みが求められます。製品・サービス品質、仕事の質などを通し てこそ、 全部門の意識やベクトルを合わせた改善が実行できると考えます。 品質は企業の体質をあらわしますし、持続的に取り組むべきものでもある からです。ヤンマーさんでは、まさに品質を旗印に全社的な改革に着手し 事業成果、顧客貢献、社会貢献、自己成長を遂げていくと期待します。
渡部 訓久
チーフ・コンサルタント
ました。現時点ではまだ静かな波ですが、いずれ大きなうねりとなって、
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JMAC EYES
最新のコンサルティング技術・事例・実践方法などについて コンサルタント独自の視点で語ります。
本社の業務改革は 「総合格闘技」である!
ビジネスプロセスデザインセンター センター長 シニア・コンサルタント
大谷 羊平 youhei otani
7 割の企業が BPR に取り組むも 本社の改革が進まない!
JMAC が 数 年 お き に 実 施 し て い る BPR 活動(ビジネスプロセス・リエン ジニアリング : 業務の抜本的な改革活動) の実態調査の結果を見ると、7 割程度の 企業が BPR に取り組んでいます。しか し、成果が上がりにくい領域があるのも 事実です。その領域とは実は「本社」で す。バリューチェーンに直結する機能領 域の BPR 活動は順調でも、本社の活動 が進まない、活動前に戻ってしまったと いう声を聞きます。BPR 活動の残され た課題は、本社の業務改革なのです。 以下で、本社の業務改革を上手に進め ていくためのポイントを整理します。
まずは、活動の目標・落としどころを 明確にすべきです。効果的な改善・改革 活動には、目標設定が重要です。本社や 間接部門の改革活動でも、工数や人数の 目標を設定しますが、改善効果が目に見 えにくいからこそ、業務工数削減の効果 をどう把握し、どう評価するのか、工数 削減で人員を減らすのか、新規の業務を どの程度増やすのか、などの「落としど ころ」を明確にすべきです。 次に PDCA です。PDCA を回すため の改善案の実行で、本当に効率的になっ ているのか? という疑問も多く聞きま す。これも業務の特性が邪魔をしていま す。改善案数やその実行率の管理も重要 ですが、残業時間や処理件数、問合わせ 件数、イレギュラー業務の発生件数、ミ スの発生件数など、業務のやりやすさや テーマの進捗度を測る指標(部門 KPI) を設定し、管理することも重要です。 【2】業務改革活動の進め方
点が重要となります。 まずは「見える化」です。本社の業務 は目で見てもわかりにくい仕事ですか ら、 「文殊の知恵」を出すには仕事の見 える化が重要です。見える化には、 「業 務の分担構造」 「業務工数(業務量) 」 「業 務の流れ」などいくつかの整理の方法が あります。どのような目的で分析したい のかを明確にして取り組んでください。 次に重要なのが「改善視点」です。見 える化した仕事をどう料理するかです。 対象部門の特性や対象業務の特性によっ て当てはめるべき視点は多少異なります が、 「改善の基本」などを活用してアイ デア出しを進めることが有効です。 【3】新しいアプローチの組み合わせ
本社の改革をうまく進めるための 3つのポイント
【1】業務改革活動の目指す方向 社内の活動推進がうまくいかない背景 には「活動の目標・落としどころが不明 確」 「PD はあるが CA がない」という ことが多くみられます。この 2 点に関 してアドバイスしておきます。
「仕事そのものの見直し」や「システ ムの見直し」の推進も重要ですが、最近 はそれに加えて 「働き方の見直し」 をセッ トにして改革推進を支援するケースが増 えています。 すなわち、本社の改革を「総合格闘技 型」で進めるのです。たとえば、仕事を マニュアル化して各人の予定を見える化 する、 朝会で応受援の相談をする、 マニュ アル化した仕事を手伝う、などで部門全 体の残業時間を減らす取組みです。 また、会社全体として会議や資料づく り、メール配信時のグランドルールの作 成・浸透を仕掛けたりします。創発的な コミュニケーションを増やすオフィスレ イアウトなどのハード面の改善、さまさ まざまな働き方を選択できるダイバーシ ティ支援型制度の構築などのソフト面の 改革など、長く・生産的に働ける職場環 境づくりもセットで支援しています。
「業務改革では部門別の活動が止まっ てしまう」 「業務の棚卸しの後、どう進 めるのかわからない」という声も最近よ く聞きます。進め方に関しては、以下の
大谷 羊平プロフィル
早稲田大学政治経済学部卒業後、1993 年 JMAC 入社。幅広い業界の業務オペレーションとマネジメン トを対象とする改革コンサルティングを担当。主には 業務改革活動を目標・指標設定から実施推進活動支援 まで一貫した改革を推進。並行して事業構造改革、原 価管理制度構築、リスクマネジメントやコンプライア ンス、事業継続計画に関してもコンサルティングを展 開中。著書に、 『使える!活かせる!マニュアルのつ くり方』 『オフィスの業務改善がすぐできる本』 『6 ス テップで職場が変わる! 業務改善ハンドブック』 (い ずれも共著:JMAM 刊) 。
本記事は JMAC のホームページで連載中の「JMAC EYES」の要約版です。完全版は www.jmac.co.jp/jmaceyes で。
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編集部からの耳より情報
JMAC トップセミナーのご案内
〜経営革新を推進する先人から学ぶ〜
「JMAC トップセミナー」は、JMAC と経営トップ層をつなぐ本誌にご登場いただいた経営トップの方々を講師に お招きし、実際に改革を断行していく苦難や成功体験をお話いただく経営トップ向けセミナーです。
4月 19 日 開催
(水) 2017
15:00 〜 18:30
基調講演
ブラザー工業 株式会社 代表取締役社長 小池 利和 氏
4 月 19 日 (水)の 「JMAC トッ プセミナー」では、本 誌の TOP MESSAGE にご登場いただいた、ブラザー 工業株式会社 代表取締役社長 小池利和 氏をお迎え し、 「 『情熱』がエンジン ! 立ち止まらず、チャレンジ し続ける」 (仮題)と題し、ご講演いただきます。 本誌では紹介しきれなかったお話を、直接お聞きでき るチャンスです。ぜひご参加ください。
会 場:ステーションコンファレンス東京 6F (千代田区丸の内 1-7-12 サピアタワー) 定 員:50 名(お申込み順) 対 象:経営トップ層、部門長の方々 参加料:10,800 円(消費税込)※参加者交流費を含む
URL
http://www.jmac.co.jp/seminar/open
書 籍 案 内
戦略的な意思決定のために、財務諸表から経営を“ 診る ”
取締役・経営幹部の
□ビジネス・アカウンティング&ファイナンス能力向上 ✓ □コーポレートガバナンス・コードへの対応力強化 ✓ □中期計画の策定推進による業務責任の完遂 ✓
会計・財務が 苦手な取 締役・経営幹部 も含め、業績責任を果たすために必要なビ ジネス・アカウンティング&ファイナンス能 コーポレートガバナンス・コードへの対応力
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を知り、彼らのニーズに応えるために、経 営者視点から財務諸表を活用して戦略策定 に役立てる方法を、豊富な事例と実際の財 務諸表から学ぶことができます。本書を読
力を体系的にわかりやすく解説しています。 を強化するための必読書です。また、銀行
むことで、取締役・経営幹部に求められる ビジネス・アカウンティング&ファイナンス 能力のさらなる向上が期待できます。
や投資家がどのように会社を評価するのか
取締役・経営幹部のための戦略会計入門 〜キャッシュ・フロー計算書から財務戦略がわかる〜
セミナーで本書をプレゼント! コーポレート・ガバナンス対応 「役員研修プログラム」の紹介セミナー ■開催日時:2017 年 3 月 21 日(火)13:30 〜 16:30 ■会場:JMAC 研修室(千代田区) ■参加費:5,000 円(税別) ■講師:飯田真悟・木村壽男(JMAC シニア・コンサルタント) URL http://www.jmac.co.jp/seminar/open
●著者:飯田真悟(JMAC シニア・コンサルタント 公認会計士) ● A5 判、232 ページ、日本能率協会マネジメントセンター刊 ●価格:本体 2,500 円+税 ● ISBN:978-4-8207-5957-7
いつの間にかキーボードを使った入力やら送信、出力にすっかり慣れてしまい、ましてやスマホのおかげで 手帳ですら「雲」の中にあるものだから、 「手で書く」機会がめっきり減っていることに今さらながら気がつき、 むりに手書きを実践するも、後で判読できない字形に頭をひねる始末。ならばと取材を機に万年筆を使ってみた が、ガサツで不安定な筆圧のせいでペン先をうまく運べない。やはりプラチナ万年筆のセンチュリーが必要か。
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- Special Information
「JMAC エグゼクテ ィブクラブ 」 第 2 期の活動がスタート !
昨年度から開催しておりました 「JMAC エグゼクティブクラブ」 は、好評のうちに第 1 期の活動を終え、第 2 期の活動がスタート しました。 本会は、 ・ 「素晴らしい現役経営者」の生の体験談を聞く ・経営のリベラルアーツを共有する ・経営者としての資質や人間力を磨いていく ための<ネットワーキングの場>として開催しています。
第 1 期に引き続き、公益財団法人加藤記念バイオサイエンス振興財団 理事長(協和発酵キリ
ン株式会社 元代表取締役社長)松田譲氏<写真右>を座長に、16 社(名)のメンバーの皆様 開催しました。松田氏および 16 名のメンバーの方々からは、IoT や AI(人工知能)と事業の えていきたいとのご期待・ご要望をいただきました。
と第 2 期の活動を開始しました。第 1 回の会合は、2016 年 10 月 20 日に港区内のホテルで 結びつき/働き方改革への対応/デジタル時代の若者の育成などについて、新しい視点から捉
今回のゲスト講演者はソフトバンク株式会社 代表取締役社長 兼 CEO の宮内謙氏<写 真左>。日本能率協会を経て 1984 年に入社されて以来、IT 業界の最先端で活躍されて います。 「ICT の進化、デジタル技術の向上に伴う社会の変化、ビジネスの変化に適応で
きない企業は淘汰される危機感を持つべきです。この業界に 30 年いましたが、次の 10
年はとてつもない変化が到来します。IoT、AI、ロボットがビジネスの三種の神器にな
ります。 キーワードは Digitalization、 すべてをデジタル化することです」 と話されました。
会が終わってから、場所を変えて懇親会を開催しました。メンバー間 われ、初回から打ち解けた雰囲気をつくることができました。
のコミュニケーション、ゲストの宮内氏を囲んでの歓談などが活発に行
Business Insights Vol.63 2017 年 2 月 発行
編集長:田中 強志 編集:柴田 憲文 ライター:山野邊志保
TEL:0120-058-055 URL:http://www.jmac.co.jp/ FAX:03-5219-8068 Mail:info_ jmac@jmac.co.jp
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