ビジネスインサイツ71
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- ミライロの企業理念と 社会に対するメッセージ
れなくても︑幅は変えられる︒幅に アルバイトをしたくてもなかなか採 用されなかった私を︑唯一採ってく れたウエブ制作会社での話です︒ 制作を担当するのかと思っていた ら︑命じられたのは営業でした︒も ちろんほかの人より訪問できる会社 は少なかったけれど︑数カ月後には トップの成績を残すまでになりまし た︒理由はたった一つ︒ ﹁また車椅 子の営業がきているぞ ﹂と︑多くの 人に覚えてもらえたからです︒ ﹁ 歩けないことに胸を張れ︒お客さ んに覚えてもらえることはお前の強 みだ ﹂ ︒社長からこう言われた日の ことは忘れません︒また︑その社長 は ﹁ 障害者だから仕方ない ﹂ という態
1989 年生まれ。立命館大学経済学部在 学中の 2010 年にミライロ設立。ʼ13 年 「み 」 でグランプリ獲得。 んなの夢 AWARD 3 ʼ14 年には日本を変える 100 人として日経 ビジネス 「THE100」 に選出され、 ʼ15 年に 「平成 26 年度ダイバーシティ経営企業 100 選」 、ʼ18 年に Japan Venture Awards で 「経済産業大臣賞 」 受賞。同年、TED × Kyoto に登壇した。
﹁歩けない ことに胸を張れ︒ ﹂ こだわって生きようと決めました︒ 大学生のとき転機が訪れました︒ その言葉が原点とな っ た
私は生まれつき骨が弱く折れやす い病気のため︑骨折は 回以上︑手 術は十数回受けてきました︒
垣内俊哉 氏
人生の幅は自分で変えられる
(かきうち としや)
代表取締役社長
子どものころから普通だったらい いのにと願い続け︑ ﹁あるきたい いつかみんなと はしりたい ﹂そん な詩をつくったこともありました︒ 高校を中退して手術とリハビリに取 り組みましたが︑自分の足で歩くと いう願いはついに叶いませんでし た︒ ましたが︑それすらできませんでし た︒絶望の毎日をベッドで過ごすな かで︑今度は神経の病を発症しまし た︒声を出すことも︑車椅子に乗る こともできない
小さな想いを、 大きなうねりに変える会社
自らの色を描ける未来、 自らの路を歩める未来をデザインする
一人ひとりが持つトラウマやコンプ レックス、 障害 (バリア) は克服すべき ものでもなければ取り除くべきもので もない。 バリアをなくすのではなく、 バリアを強みに変えることで、 社会を 変革したいという願いが企業理念に込 められている。 ミッションでは、 人そ れぞれが自分自身の価値を最大化でき る新しい社会のデザインを、 ビジョン では、 人々の想いと社会の共感を原動 力とし、 事業を展開していくことを伝 えている。
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歳のとき自殺を三度図ろうとし
ユニバーサルデザインの企画・設計・クリエイティブ制作・情報 提供や手話リレーサービスおよび手話通訳派遣サービスの提 供、 企業・行政・教育機関でのユニバーサルマナーの教育研修を 行っている
︱︒
度は取らず︑私が数分遅刻したとき に︑本気で叱ってくれた初めての人 そのときはじめて気づきました︒ 車椅子に乗れるのはありがたいこと なのだと︒ リハビリの結果︑声は回復し車椅 子にも再び乗れるようになりまし た︒ 人はいつかは話せなくなり︑寝た きりになるという現実を突きつけら でもありました︒ 障害があるから︑歩けないからこ そできることがある︒新たな光︑生 きる道を見つけた私は︑自分が気づ いたことを日本中︑世界中に広げて いくために起業しました︒そして︑ 起業して今年でちょうど 年になり ます︒
障害を価値に変える』 (新潮社)
[ 株式会社ミライロ ]
れた経験でした︒
従業員数 事業内容
障害はないほうがいい︒でも︑視 であれば︑限られた時間の中で︑
資本金 設立
『 バリアバリュー
ミライロの企業理念がタイト ルとなった垣内社長の自伝。 障害者として格闘してきた 日々と、 ユニバーサルデザイ ン市場をみすえたミライロの 戦略を知ることができる。
2010年6月2日
960万円
69名
点を変えれば障害は﹁ 価値 ﹂ や﹁ 強 できること︑やるべきことを探そう と思いました︒人生の長さは変えら み ﹂になる︒バリアはバリューに変 えられることを︑確信しています︒
MIRAIRO
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Business Insights Vol.71
本稿は 2019 年 6月 4日に開催した 「JMACトップセミナー」 の基調講演をもとに作成したものです。
バリアバリュー
【 ミッション 】
【 企業理念 】
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【 ビジョン 】
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