ビジネスインサイツ49
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銀座の一等地に、2010 年リニューアルオープ ンしたアンテナショップ東銀座店カフェにてイ ンタビューに応える吉川社長
コストに至るあらゆる面で総合的にバランスをとって、競 争力を高めなければ市場で打ち負かすどころか、生き残れ ない。そのためにも、強い「文明堂銀座店」へと変革して いく必要があった。 「老舗の体質では、元々下から上へボトムアップしにく い風土があったのも事実です。また、新しいものを受入れ ずらい組織ではありました」と吉川社長は言う。 そんな古い体質を変革すべく、今回の改革で大鉈が振る われた。 「社長は『陽』 。表舞台で社員へ前へと進むメッセージを 発信し、 リーダーシップをとって引っ張る役割です。一方、 私は 『陰』 。 社長の黒子として改革を実行する役割なのです。 そこはまさに二人三脚でした」と、溝口は話す。そんな改 革の過程での象徴的なエピソードを吉川社長は語る。それ は物流における大きなトラブルだ。 全社の業績改善とコスト削減を進める中、物流面でもコ スト削減方法を模索していた。当時は埼玉にある委託先に 箱詰めから配送まですべて委託していたが、その委託先で は専用の作業場所を確保して業務を行っていたため、業績 が悪化して物流量そのものが減る中でもコストダウンへの 協力が仰げなかった。ちょうどそのころ、工場が勝どきか ら船橋市へ移転する。物理的な距離の問題も加わり、食品 コンビナートという場所柄、移転を機に3PL の形で物流 業者変更を行った。しかし、蓋を開けてみれば、理想とは かけ離れたひどい状態に陥ったのだ。 「お歳暮などの物流量が増える繁忙期に、物流がパンク して対応できなかったんです。もう欠品だらけという有 様で、お客様にも大変ご迷惑をおかけしてしまいました」
(吉川社長) 。これでは死活問題。すぐさま社長を筆頭に工 場の人間まで総出で夜通し対応にあたったものの、結果的 にすべてをカバーできず、信頼を損ねて一部の顧客を失っ た。これまで業者に丸投げしていたがために、社内にデリ バリーノウハウなるものが全く残っていなかった。まさに 自社の抱える弱点が露呈した出来事だったと吉川社長は振 り返る。 しかしこの物流問題解決を通して感じられた変化もある という。各セクションの次世代を担う 40 代の社員達が自 主的に動いた。全社のことを理解し、自部門の役割を考え 行動し始めたのだ。今では物流問題は解決し、出荷までの 全工程を把握し欠品そのものを防ぐ仕組みも出来上がって いる。 「 『禍を転じて福と為す』ということわざじゃないで すが、ピンチをチャンスに変えた象徴的な出来事でした」 と吉川社長は話す。 一方こうした出来事や、一連の改革の過程で、古い体質 から抜け切れない古参の社員達との別れもあった。 「今回 の改革で離れていった社員がいたことは大変残念で辛い出 来事でした。しかし、組織の体質を変え筋肉質な体制を目 指すには、仕方のない痛みだったと思います。試練を乗り 越え、今では組織が強くなったという手ごたえを感じてい ます」と吉川社長は話す。
「売れ筋(ヒット)商品」 は改革の賜物
自社の現実を直視するために、吉川社長が就任後すぐに
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