ビジネスインサイツ50
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コスト力を持っています。一方我々はインバーター技術と いう強みがあります。それを融合させて市場を拡大させる 路線を選ぶのは企業として当然あるべき方向です。一方、 滋賀製作所で作っていたものを持っていったために、滋賀 で製造する台数は純粋に減りました。我々としては付加価 値の高い商品を出して台数を伸ばさないと、滋賀製作所の 存続自体危ぶまれるという強い危機感がありました」と当 時を振り返る。 このままでは、中・高機能商品まで中国へ移管される可 能性がある、滋賀製作所でものづくりを続けるためにはど うすればいいのか。事業所全体が一丸となって魅力的な商 品をつくる活動をはじめようという機運が持ち上がった。 それはトップの方針とも合致していた。 こうして 2010 年 4 月、滋賀製作所の起死回生をかけた プロジェクトが立ち上がった。それが「うるさら7」プロ ジェクトだ。
2010 年早々にプロジェクトがキックオフしてから、しば らく自身で取組み始めた岡本氏だったが、どうもうまく進 まない。そこで同年 9 月、JMAC がプロジェクトに本格 的に合流したのである。
組織の壁を越え、 各持場は意志を出し始めた
これまで様々なコンサルタントと付き合いがあったとい う岡本氏だが、どこかネガティブな印象を持っていたのも 事実だと言う。 「目標を達成するには手を動かさなくては ならない。しかし業務を抱えながらコンサルタントからの 宿題をこなすという負担から、現場はとても疲弊してしま うんです」 (岡本氏) しかし、JMAC は今までとは大きく違っていたという。 課題を引き出すため、どんどん現場に入っていく。初めは 不安や抵抗感を抱く現場だったが、JMAC が実際に現場か らあぶりだす課題が納得のいくものだった。その現場目線 がメンバーに最も響いたのではないかと岡本氏は振り返る。 セミナーをきっかけに、今回のプロジェクトは 4 つの テーマが並行して推進された。原価企画はシニア・コン サルタントの加賀美行彦が担当、調達、サプライヤーは チーフ・コンサルタント 中山隆、生産ものづくりはシニ ア ・ コンサルタント 桜井祥裕、商品企画、コンセプトメー キングはチーフ・コンサルタント 近藤晋がチームを組み、 部門間の連携にも接着剤の役割を果たした。 ここでは「商品企画」の取組みにフォーカスしてご紹介 する。プロジェクト当初を振り返りチーフ・コンサルタン トの近藤晋はこう話す。 「商品企画の場合、現場の課題も わかっていて、企画としてやりたいことも明確にありまし た。あとは、どう周りを巻き込み納得させられるか。例え ば営業部門等、タッグを組まなければならない部門を早期 に巻き込んで意見を引き出していく。第三者が必要な人に 対して場をつくり、一つひとつの議論を丁寧にしながら形 にしていくわけです。それが我々の役目でした」 今まで陥りがちだったのは、プロジェクトリーダー対そ の他という構図。プロジェクトありきで進めると、それぞ れが背負っている自部門の主張や利害関係から対立し、物 別れに終わってしまうケースも多かったのだ。 「今回は“課題”や“目標”を先に示し、 そこからスター
お客様が求める 真の価値とは
「我々が勝つためにやらなければならないのは、今まで の“常識”を見直すことでした。前提となるコスト力。環 境先進的な省エネ性や付加価値の高さ。こういった我々が 出してきた高付加価値商品というものは、本当にお客様に 望まれる商品を出せているかと。そこをもう一度見直す必 要がありました」と岡本氏は語る。 日本のもの作りで、シェア奪還と収益を実現することを 目的に据えた今回のプロジェクト。これまで技術力を強み にしてきた同社では、 「技術力 NO. 1」だったり、 「世界一」 というキーワードは常に意識してきた。だが「お客様の求 める価値と本当に一致しているか、ユーザー目線に立った 商品開発ができているか、という課題認識がありました」 と岡本氏は話す。そういう状況をブレークしたいと、パー トナーとして JMAC に声がかかったのだ。 「きっかけはコンサルタントの中山さんが講師の原価低 減セミナーへうちのメンバーが参加したことでした。 過去、 搭載機能が総花的になりがちで、目標原価の達成が難しい ことが続いていたため、これは今まさに我が社で一番悩ん でいることだと、相談にのっていただいたのが始まりでし た」 (岡本氏)
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