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いとダメなんだと。また、よい品をつくるためには、プロ セスの中で不良が出た時に解決する知恵やアイデアがない とダメだとか。いろんな見方、捉え方があり、この非常に 短いフレーズにいろんな考え方が凝縮されているんです。 そうして知恵を使う。 「人間は知恵を使うから、可能性が 無限にある」というのがトヨタの考え方です。豊田英二さ んが「乾いたタオルでも絞れば水がでる」と言ったという 話は有名でしょう。実は言葉が一つ抜けていて、 「乾いた (よ うに見える)タオルでも、知恵を絞れば水が出る」と言っ たんです。知恵を使うには困らせる。困らせるためにはそ の場に安住せず、次々にターゲットをあげレベルアップさ せる。そのマインドこそカイゼンの元になっているんです。
したいわけです。カイゼンをやり始めると、だんだん彼ら も参加してきたんです。自分達の達成感だったり、付加価 値を上げることだったり、一日よい仕事をして胸を張って 帰りたいと言う思いは、国が違っても共通なんだと改めて 感じさせられました。 残念ながら、GM の破たんで 2009 年トヨタは NUMMI から撤退しました。6 ヶ月以上前に生産の打ち切りを従業 員にアナウンスしましたが、今日で最後という日まで何ひ とつ問題となることは起きずに皆よい仕事をしてくれまし た。 そして、 最後に作った車は 3 年後の経年品質評価でトッ プになりました。25 年という歳月の中、労働者もずいぶ ん入れ替わったことでしょう。しかし、このことはトヨタ の思想がきちんと人から人へ受け継がれ、トヨタ流ものづ くりが NUMMI の中に定着していた証拠だと思います。
よい仕事をしたいという 思いに国境はない
鈴木:トヨタで培われた思想を持って、米国でも経営トップ を経験されました。日本とのマネジメントの違いやトヨタ流 ものづくりを定着させる上でのご苦労などお聞かせください。 新美:1983 年、GM との合弁で NUMMI を設立しました。 そこでトヨタ流ものづくりの在り方や思想が果たして現地 で受け入れられるだろうか、上手くいくだろうかと最初は 心配したのも確かです。あちらでは、ジョブ・クラシフィ ケーションといって、保全工、塗装工、溶接工という風に 職務が細かく分かれていて、それを乗り越えて仕事をさせ てはいけませんでした。そこで、何十とあったクラシフィ ケーションを Skilled(保全工) 、NonSkilled(加工 ・ 組立) の 2 つにしました。それにより、必要に応じて人や仕事を 移動させることができるようになったのです。 次のチャレンジが自働化です。トヨタでは不良があった ら人が機械を止めてラインをストップするよう仕組んでい ます。止める権限は現場にあり、どんな理由であれこれは おかしいとか、ちょっと失敗したというものがあれば必ず 止めてくれと言っていました。例えばトイレに行きたいだ とか、集中できないという理由でも止めてよいことになっ ています。その考え方をそのまま持っていくと、サボター ジュになり仕事にならないのではと心配しました。 しかしそれは杞憂に過ぎませんでした。やはり、ものづ くりに携わる現場の人たちは日本人と同じで、よい仕事を
北米ワン・ボイスで パワーアップ
鈴木:北米工場を活性化させるため、具体的にどんな取組 み、働きかけをされたのでしょうか。 新美:当時は親工場制を敷いていました。例えばケンタッ キー工場は日本の堤工場が親工場で、ケンタッキー工場の 困りごとは堤工場の困りごととして全面的にサポートする と。その後 96 年に北米製造統括会社が出来ました。それ ぞれの工場はそれまでそれぞれの親工場と親子でやってき たわけです。そこにポンと統括会社が親会社という感じで のってきましたので、それぞれが主張し合って言うことを 聞かないわけです。 私は 2002 年に社長として北米に行きましたが、それを どう改善しようかと知恵を絞りました。今までのように日 本の親工場の言うことだけ聞くスタイルを変えないといけ ないと考え、これからはアメリカは自立していくんだと言 いました。そのためには、北米工場群というワン・ボイス でないとだめだと。 そんな思いから 「アメリカンマニュファ クチャリング」という概念をつくったのです。統括会社も それぞれの工場も同じ「アメリカンマニュファクチャリン グ」のメンバーなんだ。それぞれの社長は自社の工場だけ でなく、ある人は全工場の品質担当、物流担当、人事労務 担当を兼ねるという風にして、全員が一丸となり、チーム
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