ビジネスインサイツ64
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東洋理工株式会社
1964 年(昭和 39 年)に設立した東洋理工(安城市)は、翌年には日本 で初めてプラスチックめっきの加工専門の業務を開始、以来プラスチック 製品の総合メーカーとして金型・成形・加飾(めっき、塗装、蒸着)から 組立までの一貫生産体制を整えてきた。プラスチックめっきのパイオニア を武器にプラスチック製品の可能性を拡大させており、その実力は国内外 に広く知れわたっている。とくにナイロン樹脂のめっき生産量は世界でも トップレベルを誇る企業だ。同社が 20 年近く展開している TPM 活動の 導入の経緯、継続の秘訣、次世代に向けての展望などをお聞きした。 的存在として、自社開発のオンリーワン技術「金属音プラめっき(MLT) 」
横山 真喜男 氏
Makio Yokoyama
代表取締役社長
ようなもので、それでどんな成果が出るのかを、理解して もらわなければなりません。まずは土曜に出てやることの 意義を納得してもらうのに苦労しました」 (小西氏) 同社に限らず、TPM 活動の初期は「活動が思うように 進まない」 「やってもすぐ元に戻ってしまう」と感じるこ とがある。それは当然のことであって、活動のごく初期の 段階ではゴミや汚れの「発生源」の対策はまだ十分ではな いからだ。このときの苦労を小西氏は「とくにめっきの現 場は、掃除をしても翌週には前と同じくらい汚れているの です。また土曜日にやるといっても、通常の生産で出勤す ることもありますから、清掃が十分にできない時期もあり ました。そのときは一番苦労しました」と振り返る。 「もちろん率先垂範ということで、役員と管理職で『モ デル機』を設定して自らが身体を動かして活動の手本を示 しましたし、手当なども社長であろうがアルバイトであろ うが、差をつけないで一律にみんな一緒にして、とにかく 全員で出てくれという思いが伝わるようにしたのです」と 横山氏も活動初期の苦労を語る。 TPM 活動は「後戻り」しないためにも、ある ステップを確実にしてから次のステップに進み、 それにリンクするかたちで設備が変わり(信頼 性の向上) 、人が変わり(スキル・意識の向上) というシナリオで展開していくことが多い。階 段 (ステップ) の踊り場にいると、 どうしても 「な かなか次に進めない」と感じることもあるようだ。
こうした壁を幾度と乗り越えた現場を、横山氏は「2 年 くらいでようやく現場が『変わった』と感じました。何と か活動が定着したなと。ようするに、成果が見え出したと いうことです。トラブル対策が進み設備の停止が減った、 稼動率がアップして残業や休出が減ったなどを実感できる ようになったのです。見えるようになるとヨソのチームが 気になり出して、 良い意味で競争するようになったのです。 成果が見えて活動が活発化し、さらに成果が出るという相 乗効果も生まれました」と評価している。このころにはク レームや納期遅延が大幅に削減し、納入先からも品質や納 期の「改善賞」を授与されるほどになったという。
従業員の意識の変化を捉えて 活動を 「仕事そのもの」に
現在は当初の設備関連のトラブルも激減し、 「今はお客 さまの品質要求が非常に厳しくなっていて、活動の主力も
▲樹脂に金属の質感を持たせるプラスチックめっきを施した製品。四輪自動車 用グリル(写真左)と二輪自動車用エンジンカバー類(写真提供:東洋理工)
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