ビジネスインサイツ65
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経営基盤の強化に向けたさまざまな取組みについて、 JMAC が支援した事例を紹介します。
~少子高齢化時代の生き残りを賭けた「スーパー片浜屋」の挑戦~
スーパーの新しい形を探求し、 「食のライフライン」を守り続ける
被災した翌日も休まず営業 「食」 と 「心」 を支え続けた日々
もし自分が大規模災害の被災者になったら、まず必要な ものは何か ? その 1 つに、食料品をあげることができる であろう。 2011 年 3 月 11 日の東日本大震災で、気仙沼市は津波 や建物倒壊など大きな被害を受けた。 その中で、 地元のスー パー片浜屋も店舗が被災したものの、翌日も休まず店頭販 売を続けた。 「あのときに強く実感したのは、食という地 域のライフラインを守ることの大切さでした」 と語るのは、 片浜屋の代表取締役社長である小野寺洋氏だ。 気仙沼は三陸の海に面し、親潮・黒潮が交わる世界有数 の豊かな漁場を有する国内屈指の漁港として栄えてきた。 しかし、その風景は震災で一変した。 小野寺氏はこう語る。 「水産業関連で雇用の 6 割を占め るなど、気仙沼市はまさに水産業の町でした。しかし、震 災で大きなダメージを受け、今もまだ元どおりにはなって いません。7 万 4000 人いた人口も、1 割以上も減って 6 万 6000 人になりました」 。復旧・復興率についても、 「漁 船数こそ震災前の 9 割と比較的戻ってきていますが、港 湾の再築率は 6 年経ってもいまだ 7 割です。水産加工業 の回復率は 3 割で売上げは半減、ワカメ・カキなどの養 殖業も、950 ほどあった経営体は3割以上が廃業し、売 上げにも大きく影響しました」と説明する。 片浜屋における津波被害も甚大で、本社家屋は流失し、 所有する 3 店舗のうち 1 店舗に床上 2 メートルの浸水が あった。幸いにも従業員は全員無事だったが、設備は海水 で全滅し、床には重油混じりの重く、強烈な臭いの泥が堆 積したという。 「従業員が泥まみれになりながら一生懸命片づけてくれ て、 店舗は 2 ヵ月後の 5 月には復旧することができました。 本社家屋も同年 11 月、 内陸に移転 ・ 新築して今に至ります。 ショーケースの取引先やスーパーの業界団体なども、ビジ ネスを超えた強力なバックアップをしてくださり、それに もずいぶん助けられました」 冒頭でも述べたように、こうした中でも従業員は自ら被 災しながらも翌日には営業を再開した。地域の人々は、な じみのあるいつものスーパーで買い物をし、近所の人たち と顔を会わせて会話できたことがどれほど心強かったこと か。食に加え、 心の支えになったという意味でも、 スーパー 片浜屋は地域のライフラインとして大きな役割を担ってき たのである。
「最少人員で業務を回す」仕組みで 慢性的な人手不足を解消する
株式会社片浜屋は、 宮城県気仙沼市で「スーパー片浜屋」 を 3 店舗展開する地元密着型の企業である。創業は 1937 年(昭和 12 年)とその歴史は古く、スーパーマーケット
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