ビジネスインサイツ69
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- 白鶴酒造の創業
は︑徳川八代将軍吉 宗の時代︑寛保3年 ︵1743︶ ︒ 兵庫県︑ 灘の御影村で酒造り を始めたのは︑酒造 りに適した米︑最適 の水に恵まれた土 地︑寒造りに適した 気候という条件が整
灘魚崎工場の変化はどう起きたか
フ ィルムロス
18 33 22
造株式会社が誕生した︒
対 策の見える化
﹁こんなに厳しいのは︑白鶴さんぐ らいです ﹂ これは︑灘魚崎工場を担当するあ る資材納入業者の言葉だ︒日本酒の 瓶のラベルや紙パックの︑印刷のわ ずかなゆがみも許されない︒ 工場長の松宮雅一さんは﹁ 正直︑ 私でもこのくらいはいいのでは︑と 思うことがあります︒白鶴の品質基 準レベルはとても高く︑よい評価を いただけるぶん︑生産現場に求めら れるものも相当に高い︒実際︑私た ちがOKだと思う完成品を品質保証 部に持っていくと︑不良品だと突き 返されることがあります ﹂ と話す︒ この﹁ 不良品 ﹂が︑今の灘魚崎工 場のテーマだ︒いかに不良品をなく していくか︑なぜ﹁ 絶対に ﹂不良品 を出してはいけないのか︒
目標数字だけでなく個々の意識も変わっていくために、 3つの課題に取り組んだ
年間生産数 5000 万本。 これだけの生産量を104 人で担っている。 最大 28 万本。
っていたからだ︒ 明治 年 ︵1885︶
の品質保証や廃棄ロスの問題だけで
に﹁ 白鶴 ﹂の商標が登録され︑明治
はない︒出荷される商品の最終段階
年︵1900︶のパリ万博には︑
で不良が見つかると︑再検品作業と
敷地面積 18,761平方メートル。 1日の生産能力は1.8ℓ換算で
原 因の見える化
瓶詰の白鶴が出品された︒その後︑
いう膨大な仕事が降りかかる︒年間
私立灘中学の設立︑白鶴美術館の設
5000万本を生産するこの工場
課題
立など︑教育や文化にも注力しなが
で︑再検品作業は果てしない︒
ら︑昭和 年︵1947︶に白鶴酒
創業から276年もの歴史をもつ
﹁土足﹂ 生 産 ラインに TPM導 入のきっかけ
老舗のブランドを守っていくのは︑生
のほとんどは︑この灘魚崎工場から
TPMを導入したのは2004年︒
問 題の見える化
出荷されている︒もし不良品が混在
日本酒業界の取扱高の単位は「 石 」=
それまでは生産ラインのすぐ横ま
180.39ℓ。現在、日本国内生産量トッ プを占める白鶴は52,360㎘=290,260 石 (29万石) を取り扱っている
し て い た ら︑
で︑土足で入って作業をしていたと
52,360,000
米 を つ く り︑
KEY WORD 1
いう︒
万石
精米︑ 仕込み︑
リットル
﹁ TPMを導入してから︑生産フロ
貯蔵と何か月
アを土足禁止にしました︒内履きで
29
もかけてよう
の作業に切り替えると︑異物混入数
やく商品とな
が劇的に減ったんです︒掃除の負荷
った大切なお
も減ることに気づきました︒ それが︑
-
産ラインの責務である︒白鶴の商品
灘魚崎工場竣工前の旧工場がC
き止め、機械の改善が実現した
KEY WORD 2
白 鶴 ブ ランド を 守 る 酒 造 り 最 終 工 程の重 責
のが、パックラインのフィルムロス半
今回、改善プロジェクトで取り組んだ
減活動。シュリンカー不良の原因を突
酒を処分する
本格導入のきっかけです ﹂と話すの
ことになる︒
は︑副工場長の影浦𠀋秀さん︒
お客さまへ
2012年7月より操業がスター
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Business Insights Vol.69
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