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働き方改革のジレンマ ~EX(Employee eXperience)重視へのシフト~

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蛭田 潤

蛭田 潤(シニア・コンサルタント)

働き方改革のジレンマ

働き方改革が叫ばれて久しいが、多くの企業では働き方改革と言えば残業時間削減や有休取得などの労働時間を中心に考えることが多くなっている。そのためか、「定時で帰れ」などと強制される時短ハラスメントも聞かれる。このような働き方改革では従業員の働きがい向上につながっていないことも多いだろう。働き方改革のゆがみを抱えたままでは、企業成長も従業員の働きがいも共倒れになってしまうことが危惧される。このようなゆがみを解決するために、働き方改革のあり方を、EX(employee experience)視点から再検討してみたい。よくある働き方改革の3つのジレンマに着目し、その解決の方法を考えていく。

ジレンマ 1:働き方改革 vs 成長戦略

多くの会社では、働き方改革は人事部門が担当し、成長戦略は経営企画部門が担当している。すると相互の施策の関連性がないまま展開されてしまいがちである。たとえば、人事部門は残業時間削減を掲げる一方で、経営企画部門は今の人員のままで売上をアップするという相反する施策を掲げてしまうわけである。そのため、現場では人的リソース(労働時間)を減らしながら、成長戦略の数値目標を達成するという、無謀とも言える課題に取り組まなければならない。これが1つめのジレンマだ。

これまでは残業などの「がんばり」で何とかしてきたが、今は限られた人的リソースのもとで目標を達成しなければならない。このジレンマを解消できずに、困りはててしまうわけだ。こうなると、成長戦略をあきらめて予算未達成の言い訳を考えたり、働き方改革への不信感が募ったり、文句を言うことに終始してしまう。

では、こうしたジレンマをどのように解消していけばよいのだろうか。

(1)成長戦略と働き方改革の関係を明確にする

たとえば、成長戦略を支える組織文化をつくり上げるために、ネットフリックス(Netflix)ではCulture BookやCulture Codeなどを作成し、思考・行動のあり方を浸透させている。良い働き方が従業員一人ひとりの力を発揮する源であり、競争力を高める要因だと考えているからである。このように働き方改革と成長戦略の関係を明確にすることが経営には求められる。

(2)成長戦略そのものの考え方の転換

ある運輸サービス会社では、「すべての顧客に最大のサービスを」という戦略から、「勝負すべき顧客に自社らしい価値を」という考え方に転換をした。具体的には、高い輸送品質(遅れずに壊れないように丁寧に運ぶ)という自社の強みに共感してくれる荷主を主の顧客とし、価格だけを重視する荷主とは現行の基本契約を解約したのだ。これは自社の特徴を際立たせ、他社との差別化をすることを重視し、全方位に成長する戦略から考え方を大きく転換した事例と言えるだろう。

(3)組織は戦略に従う一辺倒から、戦略は組織に従うという視点とのバランス

「組織は戦略に従う」というチャンドラーの考え方が、長らく組織づくりの基本であった。しかし働き方改革によって人的リソースが限られる中では、人が少ないために戦略を実行しきれないことも考えられる。つまり、アンゾフが唱える「戦略は組織によって規定される」という企業内部の資源に着目するリソース・ベースド・ビューの考え方も必要となってくると考えられる。

この話は経営学の中でもさまざまな議論が行われており、どちらが正解というわけではない。ただし、働き方改革を進めるのであれば、リソース・ベースト・ビューの考え方を理解しておく必要性が高いのではないだろうか。

また、経営環境変化が激しい中では、戦略を考えてから組織をつくるというスピード感では限界が出てくるだろう。コロナ禍でも従業員一人ひとりが考え、すぐに行動を起こしていった企業ほど対応が早かったのは明らかである。日々の体験の中から気づき・発案したことを、組織課題として取り組むことができる組織づくりこそが重要である。

ジレンマ 2:労働時間重視 vs 働き方改革施策

働き方改革施策は「残業規制・総労働時間の削減」「各種休暇制度の拡充と推進」「会議・資料削減などの業務改革」や昨今のコロナ禍における「テレワークの推進」などに取り組むことが多い。多くの企業では「残業時間」「休暇取得率」「出社は週○日以内」などの労働時間を中心とした量的な目標になりがちだ。これが、労働時間重視のジレンマを生んでいる。

■労働時間の削減
労働時間だけ削減していくと、どうしても目の前の仕事を優先してしまうのが人間の性だ。そのため「中長期的な問題に取り組む時間がなくなった」「OJTなど育成の時間がなくなった」「お客様へのサービスの質が下がった」などの声が多く聞かれる。
労働時間の削減は、当面は良いことかもしれない。一方で、中長期的には企業体力を奪い、一人ひとりの成長も鈍化してしまうという危険性も秘めている。

■休暇取得目標
連続休暇取得などが目標になっている企業もあり、そのような会社では半強制的に土日などふくめて10連休などを取得させられることもある。一見すると良い施策に思えるが、不満が多いのも事実だ。たとえば「頻繁に病院に行くので、半休を頻度高く取りたい」や「毎日1時間くらい遅く出社して、朝に英語のオンライン講座を受講したい」という社員もいたりする。
人によってライフスタイルも多様であり、取得したい休暇の形態もさまざまだ。会社が一律的な目標を設定することで、かえってモチベーションが下がってしまう典型的な例だろう。

■会議・資料削減などのワークスタイル改革施策
ペーパーレスなどを、社長の「鶴の一声」ならぬ「神の一言」をきっかけにスタートする企業もよくある。このような、ワークスタイルに関する改革は、定期的にブームが訪れる。そのたびに、社員の間では会議時間の削減やペーパーレスなどを会社から言われ続けており、やらされ感が漂ってしまう。

また、会社は会議時間削減が有効と考えて施策を展開するが、従業員側は「チャットで連絡が取れるようにすることの方が有効と思っている」などのように、会社と従業員との間にギャップが生じることもある。
実際、こうした状態を放置したまま、会社側は会議時間削減の成果を求めるため、現場では「やっていないとは言いにくいため、格好をつけるためにやったように見せた報告をあげている」という声も聞かれる。

このように会社としての目的が果たされないまま、表面的に新しい取り組みをしても誰にとっても益はないのは、言うまでもない。

■テレワーク推進
あるメーカーでは、トップダウンで、テレワークを推進しろという働きかけがあった。しかし、技術職・開発職のスタッフなど、CADなどのハイスペックなPCで処理が必要な作業がある。これらの作業はノートパソコンではなくハイスペックな会社のデスクトップPCを利用して業務をしていたわけで、テレワークのためにそのPCを家に持ち帰るという事態になった。自家用車が使えない社員はスーツケースにPCを入れて都心の本社から郊外の自宅まで電車で運んだという、なんともバカらしい事例が世の中には多く転がっている。
このように実態に沿わない施策や現実的な具体策が伴わない場合など、トップダウンの号令だけでは、なかなかうまくいかないというのが実情だ。

こうしたジレンマを解消するには、以下の視点からの取り組みが必要である。

(1)「量」から「質」向上の目標へ

企業の成長には、インプット量の削減だけではなく、「質」(アウトプット)の向上が必要だ。しかし、「質」目標の設定は曖昧になっているケースが多い。経営理念・ビジョンの実現や、従業員一人ひとりがどのような状態を目指したいのか、などの視点からの「質的な状態目標」の設定とその共有・共感が重要である。

(2)中長期的な課題解決のための時間確保

労働時間の制約が少ない環境下ではやるべきことを積み上げ、達成に向けてマンパワーをたくさん投入して、「とにかくがんばる」やり方で対応できていた。つまり、やるべきことが優先で人や時間の確保は後回しだったのだ。しかし、働き方改革でマンパワー(時間)を確保できない昨今では、やりたいことがあってもやりきれない、ということ起きているのが実情ではないだろうか。

たとえば、年間1800時間働く社員が10人いる職場であれば、合計の18000時間の配分を考える必要がある。重要なことは、不要不急な業務の廃止・削減をして、中長期的な課題を解決するための時間を確保することだ。このように今のリソース(この例の場合は社員10人)を前提として、時間という資源を最大活用していくマネジメントが必要であろう。

(3)職場・業務特性に合わせた改革推進

会議や資料の削減などの一律のアプローチだけではなく、職場・業務特性を踏まえた働き方改革の実現を進めていく必要がある。そのためには、改革をリードする部門(主管部門)と現場が連携・連動しないと実現できない。ポイントとしては、現場が積極的に発信をすることだ。

先ほどのデスクトップPCをキャリーケースで運んでいるような事例を発信し、主管部門が実態を把握できるようにしなければ、職場や業務特性に合わせた改革推進はできない。このような改革推進こそが自社流の働き方改革につながるのではないだろうか。

ジレンマ 3:企業主導施策 vs 従業員一人ひとりの価値観

働き方改革が思うように進まない原因のひとつに、会社が考えた施策と個人の期待とのギャップが解消されないということがある。会社サイドは良かれと思って連続有給取得を展開したが、それが個人の価値観(少しずつ有給を取りたい)と合わず、かえって一人ひとりの社員を押さえつけている状態になっている例はさきほど述べたとおりだ。
「働き方改革と言いながら、結局は会社に都合の良い施策の押し付けでは」「仕事とプライベートのあり方なんて放っておいてほしい」「他社の成功例を持ってこられても、ウチの会社は違う」などの声は実に多くの企業で聞かれる。

こうした状態を放置したままでは、いくら会社主導でも本質的な働き方改革としては逆効果だろう。社員の疲弊感、働きがい低下、個人の成長力低下、ひいては企業の成長力低下という悪循環に陥ってしまう。
こうしたジレンマを解消するには、EX(Employee eXperience:従業員体験)に焦点を当てた取り組みが必要だ。最近になってその重要性に気づき、以下のような取り組みを始めた企業がある。

(1)重要なEX(Core EX)の明確化

EXとは、「従業員一人ひとりにとって良い体験を実現することが、個人の成長につながる。結果として企業の成長も実現する」という考え方だ。

そのため、従業員一人ひとりにとって、日常の中でのどのような体験が重要なのか、逆にどのような体験はしたくないと思っているのかを洗い出し、組織に共通する重要な体験(Core EX)を明らかにしていく。

(2)Core EX起点での全社の制度改革

Core EXを踏まえて、重要な体験ができるようなアクションを職場で取り組むだけではない。経営理念・ビジョン、組織のあり方、各種制度、人材育成など全社的な各制度もCore EX起点で改革することで、従業員一人ひとりの体験価値を高めていくのがポイントだ。実際に、このようなEX視点を重視し、社員に対する意識調査にEX視点の項目の導入や、EX向上に取り組む企業も増え始めている。

(3)本人のやりがいを重視する業務改革

従来の業務改革は、「経営成果」のために効率化を図ることが重要だった。しかし、考えてみてほしい。業務を遂行しているのは機械ではなく人間なのである。その業務をやっていて「おもしろい・楽しい・成長に役立つ」などの「本人のやりがい」が高いほどパフォーマンスが高くなるはずだ。

ある情報サービス企業では、業務の評価の視点の中に「本人のやりがい」を盛り込み、「従業員一人ひとりが今の仕事をやりがいの高い業務につくり変える」というアプローチをとった。結果的に、従業員一人ひとりの業務の体験価値を高めることができ、従来の業務を大きく刷新できたのである。

ここまで、働き方改革によるジレンマを放置することの課題とその解決方向を考えてきた。この記事をきっかけに、現在の自社の働き方改革を見つめ直すきっかけにしてもらいたい。

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