ビッグデータが描くヘルスケアの未来戦略
- R&D・技術戦略
オープンイノベーションを基盤としたデータ駆動型新well-being社会システムの実現
ビッグデータが描くヘルスケアの未来戦略
弘前大学大学院医学研究科附属健康未来イノベーションセンター副センター長・教授
(※現・弘前大学健康未来イノベーション研究機構長(COI-NEXT拠点長)・教授)
村下公一 氏
COI副拠点長。青森県庁、ソニー(マーケティング部門)、東京大学フェローなどを経て、2014年より現職。文部科学省COIとAIとの新たな展開検討会合委員をはじめ、文部科学省戦略的研究プロジェクト事業審査委員など政府・自治体の地域イノベーション(産業政策)関連の委員会委員・審査委員等多数。専門は地域産業(イノベーション)政策論、社会医学。
平均寿命都道府県ランキングで最下位が続いている青森県。弘前大学が短命県返上を掲げ、行政や研究機関とタッグを組んでスタートしたのが、大規模住民合同健診を中心に据えた「岩木健康増進プロジェクト」だ。指揮を執るのは弘前大学COI(センター・オブ・イノベーション)拠点。プロジェクトは今年で18年目となり、のべ2万人を超える健診データが蓄積された。その結果、弘前大学は世界無二の「超多項目健康ビッグデータ」を保有することになった。
※本コラムは、2022年5月26日に開催されたR&Dイノベーションフォーラムの基調講演の内容を記事化したものです。
産官学と市民を巻き込んだ社会イノベーション
「このプロジェクトの核となるのは毎年5~6月頃にかけて行われる弘前市岩木地区住民の健診です。約300名の医師を含む医療系スタッフを配置し、1日に約100名の住民の方を検査します。健診内容は1人あたり約3000項目にものぼり、検査時間は6時間を超えることも。これを連続10日間行いますので約1000名の方を検査することになります。検査項目はゲノムから腸内細菌、軽度認知機能関連まで幅広く測定します」
こちらの図が「岩木健康ビッグデータの構造図」である。
「4つの構造になっており、1番上がゲノム(遺伝子)のデータ。2つ目が生理・生化学データ。血液、唾液、尿から取るデータです。そして3段目、4段目が特徴的ですが、3段目は就寝時間や会話の頻度、ストレスなどいわゆる個人のライフスタイルのデータ、4段目は労働環境や学歴、経済力など社会経済環境のデータです。これが全てつながり、『多因子解析を可能にする網羅的データ』になっています」
さらに特徴的なのは企業も健診に参加し、健診データを共有して研究に生かしていくという点だ。
「たとえばクラシエさんは指先の毛細血管の状態から冷えを可視化する。カゴメさんは血中カロテノイド量、野菜摂取量レベルがその場でわかる仕組みを提供されています。花王さんは皮脂からRNA(リボ核酸)を採取し、モニタリングする技術でアトピー性皮膚炎など肌状態を知ることが可能に。ハウスさんは味覚の検査、味の素さんはアミノ酸代謝を調べるなど、各企業と一緒に行うことで、社会実装の基盤をつくっています」
このビッグデータを活用し、病気を予測して予防につなげる、健康づくりに貢献していくのが大きな枠組みだ。このプロジェクトはオープンイノベーションであり、産官学、そして市民を巻き込んだ社会イノベーションであることも特徴といえる。
「本学「健康未来イノベーションセンター」には、「オープンラボ」を設置しており、参画されている企業と研究者たちが一緒になって共同研究を行える環境になっています。なぜ企業の皆様が弘前に集ってくださるのか。それは、岩木プロジェクトの3000項目のデータに自社のデータをかけ合わせることにより、自分たちだけで解明できない研究成果をあげることができるからです」
COIデータ管理委員会は、研究データと企業のデータを共有しながら共同で解析する仕組み、システムをつくりあげた。ここからいくつもの知見が生まれ、論文発表する企業も増えてきている。
ビッグデータの解析結果を社会実装するために
このビッグデータを活用し、ある病気が3年以内に発症するかしないかをAIで予測する取り組みが始まっている。
「動脈硬化や高血圧症、糖尿病、認知症、虚血性心疾患、サルコペニア、慢性腎臓病など20の疾患について、8割以上の確率で疾患の発症を予測することができるようになりました。しかし、私たちの関心は病気の発症を予測するのではなく、病気にならないためにどうすればいいかということ。社会においてもそれが極めて重要なのです。世界最大の健常人のビッグデータを使って、本当に健康な人はどういうものなのか。真の健康年齢、つまり健康度を正しく客観的評価できるような評価軸というのを表していきたいと思っています」
そのため、全県的に地域と職域、学域、それぞれにおいて多面的な活動をしながら、社会全体を盛り上げる活動を行っている。たとえば青森県の40すべての市町村において、首長主導のもと健康づくりに取り組む「健康宣言」を行い、環境を整えた。
「その一環として、青森県独自に健康経営の認定制度を創設し、企業が認定を受けるために入札でポイントを付加されるなどのインセンティブを作り、一気にこの取り組みが加速したという経緯があります。また、小中学校での健康教育のプログラムをベネッセさんと一緒に取り組んでいます。プログラムをわかりやすく、県内の小中学校でも展開をしてきました。さらに、県医師会とも連携し、研究で得た成果を現場で実証展開していただくなどのサイクルができています」
ほかにも楽天と組み、料理研究家の浜内千波先生とレシピを開発、レシピ本をコンビニで発売。ローソンとは若い世代をターゲットに、健康的で気軽に食べられる総菜を商品化し、販売までこぎつけた。
「さらに、シルタスというスタートアップ企業とも一緒に取り組んでいます。スーパーで買い物をする際に、そのデータをAIが解析し、買い物したものの栄養価、食事の偏りなどを分析し。『あなたはこの栄養が足りていない』と栄養改善に繋がるレシピを紹介したり、インセンティブという形で割引をしたりするというモデルが進んでいます」
これらの取り組みは、健康に寄与するというエビデンスも得ているそうだ。
「さらに一歩進めて行動変容を起こすためのモデルとして『QOL健診』プログラムというものも進めています。これまでの健診は、病気か病気じゃないかを判定することに重きを置いてきました。しかし、これからの世の中は、QOLを高める、つまり病気を発症しないことはもちろん、よりQOLを高めた状態で健康的に仕事をする、生活もする、こうならなければならないと思っています」
QOL健診は、一般的な健診に加えメタボリックシンドローム、ロコモティブシンドローム、口腔保健、うつ・認知症の4つのカテゴリーを一気通貫で検査をし、その場で結果をお知らせするもの。その結果をもとに本人に合った目標設定し、達成していくのだという。
「この取り組みは健康度のチェックと健康教育啓発を両軸にして展開していきます。約10ヶ月のプログラムで包括性、即時性、啓発性が大きな特徴です。さらに、さまざまな企業の最先端のデバイスをうまく組み合わせることによって、その場で精緻なデータを即時的に分かるという特徴があります。そして、DX化することによって自宅に居ながら、さまざまなデータをとることができるようになり、健康度のチェックが包括的にできるようになる。教育をしながら、健康に導いていくというプログラムに進化させていきたいと考えています」
健康を資本にした新しい経済循環モデルと未来構想
村下教授の取り組みは、新たなまちづくりまで構想が広がっている。
「実は弘前市は今、本学と連携して健康づくりの拠点基本構想を進めています。QOL健診を基軸にして、SIB(ソーシャル・インパクト・ボンド:官民連携による社会課題解決のための投資スキーム)を用いた新しい地域経済循環モデルです。健康資本という考え方を基軸にしながら、いろいろな企業の商品やサービスを組み合わせ、公的資金だけに依存するのではなく民間の地域のファイナンスの資金をうまく利用しながら、地域で経済が回っていくというような新しい地域の経済循環モデルを考えています。青森は日本一の短命県ですが、平均寿命、健康寿命、伸び幅では結構良いところまで来ているんです」
この新しい経済循環モデルは医療費をはじめとする社会保障費を削減するだけではなくて、新しい雇用を創出する経済効果も期待される。KPIをしっかり組みながら、マネジメントしているという。
さらにその先の構想もあると村下教授は話す。
「ヘルスケアの世界でメタバースを組み合わせた新しい世界観を作っていきたいと考えています。ヘルスケア分野のデジタルツイン、現実社会と仮想社会を相互にデータをリアルタイムで行き来させながら、本人は自然と気づかずに、健康なほうに導かれる。いわゆる健康的な正しい選択をできるようにしていくと、こういう構想です」
well-being社会システムは、そう遠くない未来には、日常の中に当たり前にあるようになるかもしれない。
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