パナソニック株式会社
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アジアから世界へ-勝ち残る工場をつくり出す ~TPMが持つ"柔軟性"が活動成功の鍵だった!~
パナソニック株式会社 電子材料事業部ではすでに中国の3工場で全社一丸となったTPM活動を成功させている。 しかし、中国という風土の違いゆえ、TPM活動を導入・実践し、成功に導くまでの道のりは決して平坦なものではなかった。当時、中国広州工場の総経理とし て、2010年の導入から先頭に立って活動を指揮した森 弘行氏に、中国でTPM活動を成功させるポイントと今後世界へ展開する際のヒントをお伺いした。
加速するパナソニックのグローバル化
パナソニック株式会社(以下パナソニック)は、経営の神様と言われた松下幸之助氏が1918年に創業した松下電気器具製作所に始まり、2008年長く親しまれた松下電器産業株式会社からパナソニックに社名を変更、2018年には100周年を迎える歴史ある企業である。「くらし」の向上と 社会の発展に貢献することを基本理念とする、誰もが知る世界的な総合電機メーカーである。近年では特にアジアを拠点とした工場運営にも力を入れており、このうち電子材料事業部では、パナソニックグループにおいて唯一材料事業を展開しており、国内外に多くの拠点を持ち、回路基板材料、機能フィルム、半導体封止材などの開発・製造・販売・サービスを幅広く担っている。
その国内外の多くの工場の立ち上げから運営、改善に携わり、豊富な経験を持つのは、電子材料事業部 生産技術センター 所長の森 弘行氏である。森氏は2009年10月から多層基板材料を製造する中国広州工場の総経理として赴任し同工場でのTPM活動に熱意を持って取り組んだ経験がある。TPM活動とはTotal Productive Maintenanceの略で製造企業が持続的に利益を確保できる体質づくりをねらいとして、人材育成や作業改善・設備改善を継続的に実施していく体制と仕組みをつくるための全員参加の生産保全である。
森氏には、この広州工場で忘れられない経験がある。
工場ストライキに衝撃
赴任した2009年当初はリーマンショックからちょうど1年経ったころで、受注も順調に上向き、いよいよこれからフル稼動に向けて動き始める、そんな時期だった。森氏は「当時工場の人員は350名で、フル稼動に向けて400名~450名に増員しようと採用を開始しました。人事担当者が地方へ赴き、20名、30名と採用するのですが、2010年の春節あけ、田舎に帰った従業員がそのまま戻ってこないということを経験しました。うわさには聞いていましたが自分の工場で起こることにショックを受けました」
そして、2010年6月28日忘れられない出来事が起こる、ストライキが発生したのだ。5月ごろから他社ではストライキが発生していたが、森氏は「うちの工場は普段からコミュニケーションが取れていましたし、レクリエーションなどの行事も組合と協力して行っているので、波及しないと思っていました」と。しかし、ストライキは広州工場にも波及してしまう。
この出来事で森氏は、コミュニケーションが出来ている"つもり"だったことに気づいた。「私とマネジャー層との間では意思の疎通がうまくいっていましたが、マネジャー層と現場との間ではコミュニケーションのギャップが発生していることに気付きました」(森氏)。マネジャー層は工場の創業当初から10年近いキャリアのメンバーが多く、1970年代生まれの中国がまだ家族主義的な時代に育った世代だ。一方現場のメンバーは、1990年代生まれで個人主義が強い中で育ってきた。そこにはジェネレーションギャップも存在していたのだった。
森氏は「ストライキ再発防止のため、この工場を良くしていくためにも、全員で取り組む一体感のある活動が必要だと思いました」という。「日本の工場ではベテラン社員も多く、1言えば10を理解してくれます。そして松下幸之助の経営理念は常々教育されていますので、『社会のために』という考えが行動の基本にしっかり根付いていました。しかし、中国ではべースが全く違うということを実感しました」という。森氏の模索の日々が始まった。
ひとつの出会いが、中国でのTPM活動を決意させた
森氏は20年ほど前、郡山工場にてTPM活動に参画した経験があった。当時生産技術グループ課長だった森氏は「開発管理部会 部会長としてメンバーと一体となってTPM活動を推進しました。マスタープランでは、3年後に優秀賞を獲得することを掲げましたが、見事に受賞することができて、メンバーの自信にも繋がりました」という。活動は第2段階へと進み、自走の自主保全活動に繋がって、今でもTPM活動は続いており、郡山工場のベースになっているという。
この経験から、森氏には全員活動の推進にTPMが適していることはわかっていた。しかし、中国の現時点での実力を考えると、すぐに広州の工場でTPM活動を実施することは難しいと考えていた。でも何か全員参加の活動が必要だ。ヒントを得るため森氏は、パナソニックの他の中国工場や他社の工場の見学を繰り返した。このようななか、JMACが主催した中国工場の視察が森氏の大きなヒントとなった。
その視察先が山内精密電子の深セン工場である。森氏はすぐに中国人の幹部と共に、山内精密電子でTPM活動を主導している副総経理 岩切 廣海を訪ねた。岩切はその後、JMACでTPMコンサルタントとして活動することになる。
岩切は当時の山内精密電子の活動をこう振り返る。「深センの山内精密電子でもストライキがあって定着率に課題がありました。なんとか若いワーカーさんの定着率を上げようと思い、中国の事情に合わせたTPM活動の試行錯誤を重ねました。特に現場のワーカーさんを巻き込むためには、目線は常に現場に合わせることが大事です。現場が困っていることは何かをベースにしたTPM活動でないと長続きしません。中国のワーカーさんは知らないことを吸収しようという意欲は日本よりも強いものがあり、この成長欲が鍵だと思いました」
工場見学を終え、その国や置かれている環境、現場の悩みをベースにしながらTPMを柔軟にアレンジすれば、有効なマネジメントツールになりうる。そう実感した森氏は、広州工場にTPMの導入を決意する。
その後、2011年にJMACコンサルタントとなった岩切は、同年、森氏から指名を受ける形でパナソニック広州工場の支援することになる。こうして、森氏と岩切がタッグを組み、パナソニック流TPM活動がスタートした。
TPMで広州工場はどう変わっていったのか!
キーワードは「個人の成長」これがなければ始まらない
パナソニック広州工場で「P-GPM」と名付けられたこの活動は「全従業員のTPMへの理解を深めるために、まずは5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)から入ろうということで、4段階のフェーズ展開を導入しました。取り組みやすい活動から段階的に進めることで、現場も少しずつ変わり、人の気持ちも変わっていきました。そして何よりも工場がとてもきれいになりました」と森氏。「工場見学をしたお客様から『とてもきれいになっていますね』『5Sが素晴らしいですね』と褒めていただけるようにもなりました。そうした喜びを全員で共有することで、活動全体が良い方向にスパイラルアップして行きました」と活動の手応えを語る。
さらに、現場目線、ワーカー目線を大切にし、中国人の個人主義を活かす方法も考えた。
このTPM活動は「個人の成長の場」でもあるということを意識づけるため、彼らが行っている改善事例を発表できる場を設けたのだ。そして、その改善努力を高く評価し、やる気を引き出した。これを重ねていくと、彼らの行った改善の成果が目に見えてくるようになり、ますます現場は変わっていった。「みな緊張しながらも、生き生きと一生懸命に話すのです。自分が成長し、それに伴い会社も成長する。これは、現場のワーカーさんにそれまでにない強力なモチベーションをもたらしました」と岩切は語る。従業員アンケートでも、82%もの従業員が5S・TPMが自分のスキルに役立っていると回答している。実際に、活動開始後は定着率も改善した。
TPM活動は会社の経営数値としても成果を見せた。 2010年から2013年の3年間で、設備総合効率は60%台半ばから78%にまであがり、生産販売数はおよそ1.4倍となった。月30件あった設備トラブルは、モデル設備の事例を他に展開しながら故障ゼロを目指したところ、2013年後半からゼロが続いている。個人個人の成長をはかることが、結果として会社の成長につながったのだ。
「個人の成長なくして、会社の成長なし」森氏の信念は、まさに具現化された。
成功のために、トップは背中を見せ続ける
森氏に続いて管理監督者も全員が決意表明
今でこそ従業員はTPM活動を理解し、高いモチベーションのもと活動をしているが、当初、現場の反応は冷ややかだった。森氏は当時をこう振り返る。「トップダウンでやるしかないですから、やはりやらされ感というのはあったのだと思います。私は活動への思いを伝え続け、全従業員を集めたキックオフ大会では、私と全管理監督者による決意表明も行いました。
また、コミュニケーションを密にして、うまく進んでいない部署があれば、メンバーを集めて彼らの悩みや課題を聞く、といったところにも力を入れました」。コンサルタントの岩切と一緒にメンバーから話を聞き、議論を重ね、解決方法を見つける。こうしたトライアンドエラーを繰り返しながら、TPM活動はパナソニック流に修練されていった。
森氏がTPM活動を実践するにあたり、何よりも大切にしていたことがある。それは「自分が参画する、これはもう一番大事だと思っていました。もっとも、お客様あっての工場ですから、まずお客様への対応は最優先にしなければなりません。その次に、毎月2日間予定されている岩切コンサルタントの指導会には必ず参画する、ということを徹底していました。みんなの成長に非常に熱意を持っている、このことを言葉よりもむしろ行動で感じてほしい、という強い思いがありました」と森氏は語る。
TPM活動は、トップがどう引っ張っていくかによってその成果が決まる。信念と熱意を持って従業員に背中を見せ続ける。この強い思いこそが従業員の心を動かすのだ。忙しい中、森氏はこれをやり遂げた。「後任の総経理も、このやり方を理解して引き継いでくれました。トップが思いを繋いでいるからこそ、TPM活動が継続しているのだと思います」とトップの関わりの重要性を語る。
アジアから全世界へ~勝ち残る工場づくりを目指して
TPM活動宣言の半年後、全従業員が揃ってキックオフ大会を開催
森氏は「中国はビジネス環境自体が伸びているという追い風もありますが、我々の武器といえる高機能の商品、お客様に認めていただけるような高品質な商品をつくり続ける力が広州工場にはあると思います。そのベースを支えているのがTPM活動ではないかと思います」と分析する。
そして2014年初めには広州工場とは兄弟工場になる蘇州工場と上海工場にもTPM活動を導入した。森氏は「TPM活動の様々な手法をその工場に合わせて適用する柔軟な視点が重要ではないでしょうか。TPMは万能ツールだと思います。要は適用方法が成功の鍵になると思います」と森氏。
さらに、うまく推進できないケースとしては「グローバルも含めて全工場一律に同じやり方、同じペースで進めていくというアプローチである」とも語る。たとえば、TPM活動を受け入れるベースが元々あるところとないところでは進め方が異なる。国や置かれている環境、そして現場の悩みによっても違ってくる。万能ツールゆえに実情に応じたアレンジが必要となる。日本やアジアでTPM活動を行うときには、特にこの視点が重要だと森氏は指摘する。
「個人の成長なくして、会社の成長なし」中国におけるパナソニック流TPM活動で培われたノウハウは世界へと広がっていく。
担当コンサルタントからの一言
現地の歴史を知り、風土を理解する海外では、日本と同じやり方を押し付けてはうまく行きません。現地に合った改善活動が必要なのです。その為には現地の歴史、風土を学び理解する事はとても大事な事です。中国では個人主義が強いと言いますが、それは戦いの歴史に明け暮れた民族の防衛策でもあるのです。彼らは自分の成長につながる事にはとても熱心に取り組みます。パナソニック広州工場の歩みを見るとそれを印象付ける事がたくさんありました。TPM 活動で、設備が変わっていくのを見て人が変わる。そんな彼らの姿を見ると、成長欲は万国共通なのだとつくづく思います。
岩切 廣海(TPMコンサルタント)
※本稿はBusiness Insights Vol.54からの転載です。
社名・役職名などは取材当時のものです。
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