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サイエンスとアートの融合は「感動」という革新を引き起こす

パナソニック ホールディングス株式会社 参与
小川 理子 氏

小川 理子 氏プロフィール:慶應義塾大学理工学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック ホールディングス)音響研究所に入社。音響心理、音響生理を基盤とした音響機器の研究開発に従事。映像音響研究所、マルチメディア開発センターなどを経て2001年にeネット事業本部。2008年、CSR社会文化グループマネージャー就任。2014年オーディオ事業部門に異動。高級オーディオブランドのテクニクス復活を総指揮。2015年4月パナソニック役員に就任。2021年万博EXPO2025推進団体の理事に。

パナソニック ホールディングス株式会社
設立:1935年(昭和10年)12月15日/資本金:2,594億円/従業員数:228,420人(連結)(2024年3月31日現在)/事業内容:「くらし」領域の家電、電気設備、車載エレクトロニクス、ソリューション、AV機器、エンターテインメント領域、住宅、製造や物流、航空などのB2B、電子部品、産業デバイス、産業電池、オペレーション領域など。


音響研究者とジャズピアニストを両立させながら「世界文化の進展」に貢献。パナソニックでテクノロジーと向き合い、「感性価値」の創造に奔走する小川理子氏のメッセージ。「JMAC関西次世代ラボ」よりお届けする。

メーカーが世界文化の進展に寄与できるのか

 私は1986年に入社し、約40年近くパナソニックに勤め、一方ではジャズピアニストとしても活動しています。このようなバックグラウンドを持つ私から「サイエンスとアートの融合 ~モノと心の豊かな理想の社会実現に向けて~」をテーマにお話しさせていただきます。
 サイエンスとアートの融合、これは創業者の松下幸之助が提唱した経営理念にも見て取れます。

産業人たるの本分に徹し
社会生活の改善と向上を図り
世界文化の進展に寄与せんことを期す

 新入社員のころは、ものづくりのメーカーが、「世界文化の進展」に寄与するとは驚きました。しかし私にも「文明と文化の両輪で世界を豊かにしたい」という想いがあり、とくに経営理念の「世界文化の進展に寄与せんことを期す」の部分に、たいへん共感したことを覚えています。


 そして、同じく松下幸之助が1932年に発表した「250年計画」は「モノと心がともに豊かな理想の社会を250年かけて実現しよう」という事業哲学です。次の世代、その次の世代へと使命達成を受け継ぎながら、誰も犠牲になることなく、十分な幸せを味わって次世代をより良くしていく。今でいうウェルビーイングやサステナブルと同じだと思いますが、これを1932年に提唱していたわけです。私は本当に大事なことを教えていただき、日々実践しています。

 では、私のキャリアを紹介いたします。バックボーンは「音響研究」で、テクノロジーの分野からスタートしました。理工学部で生体工学を専攻。そこで「生体リズム」というテーマに出会い、生きとし生けるものにはすべてにリズムがある、それは相関関係がある、という仮説から研究を行っていました。そして「企業で音の探究に携わりたい」という思いから、松下電器産業の音響研究所に入りました。

 当時から私はサイエンスとアートの融合を目指していたのですが、入社した80年代はビジネスの世界に「アート」など、言葉すらなかった時代。「企業」というのは数字で見えるような論理的な説明が必要で、アートだ、感性だということは通じませんでした。ですから「理解される時代が来る」と信じて続けるしかなかったわけです。

 たとえば、私が最初に携わったのは、ラッパのような形の楽器型スピーカーの開発です。楽器は美しい音を出すわけですから、スピーカーでもそれができないだろうかと。当時、最先端のコンピューターシミュレーションを使って完成させ、本当に良い音が出る製品ができました。意気揚々と事業部に持っていったのですが「こんな奇抜なものは売れない!」と一蹴。しかし、私の上司は理解のある方で「じゃあヨーロッパに持っていってはどうか」と、入社2年目の私を海外出張に送り出してくれました。するとイタリアやフランスでは、やんややんやの大喝采。このとき、価値観の違い、多様性の意味に気づきました。以降、音響研究を15年続けたのですが、事業ポートフォリオが大きく変わり、組織は解散に。仕事が面白くて仕方なかったので、目の前は真っ暗になりました。

ヨーロッパで称賛されたラッパ型のスピーカー。ニューヨーク近代美術館永久展示品

 そうしたころ、部長が仕事と音楽を両立させていることを知りました。会社では「没個性」で仕事をされていたのですが、実はニューオーリンズジャズのドラマーだったんです。それを知って私も「両立しよう!」と決意。3歳からピアノを始め、家では常に音楽が流れているような環境でしたので、音楽が大好き。実は2003年にCDデビューもしています。社内では前例がなく、人事に相談したところ「本業に差し支えなければやってもよろしい」ということに。しかしこれは、本業でも役立つことになります。

 お先真っ暗だった私は、ジャズピアニストという活動を得て、インターネット事業で再出発します。しかしここも時代が早すぎたためか、組織が解体してしまいました。

テクニクスブランドに「感性価値」を創造する

  2008年、CSR社会貢献の責任者になった私はグローバルに向けてブランドコミュニケーションを行うことを決めました。「無電化ソリューション」をご存じでしょうか。国連や国際NGOと一緒に、アフリカやインド、カンボジアなどの無電化地域にソーラーシステム、ソーラーランタンを持っていくプロジェクトです。明るい光の下で子どもたちが勉強をしたり、医療活動、女性たちが縫製仕事をする。ほんのわずかな明かりでクオリティ・オブ・ライフを、ひいては文化を向上することができ、まさに文明と文化の両輪を実現できたのです。3・11‌の際にも災害支援を担当し、パナソニックのLEDネックライトで医療支援。チャリティコンサートも開催しました。「世界文化の進展に寄与する」という信念をもって挑戦を続け、天分を活かして個性を磨き続けていけば、自身を輝かせるチャンスが巡ってくると確信しました。

 2014年には、テクニクスブランド復活の責任者に。まさか自分が再び音響のフィールドに戻ってこられるなんて想定外の異動でした。

 テクニクスは1965年生まれのブランド。82年に音楽用CDが発売され、デジタル時代が始まると、アナログは衰退します。パナソニックもデジタル化に舵を切り、テクニクスは休眠に。しかし、時代は常に新しい感動を求めています。デジタルの音質も進化し続けていますが、私は数字では説明できない音の奥深さ、本当に豊かな暮らしに貢献する、サイエンスとアートを融合した「感性価値」をつくろうと決めました。機能や性能の良さは当たり前の時代。もっと人の心を動かせる、感動をもたらす感性価値を創造したいという気持ちがむくむくと湧き上がりました。同時に「Rediscover Music」をテクニクスのブランドメッセージとし、まだ経験したことのない音の出会いを提供することに。

 私たちのオーディオには「音楽の感動」が必要でした。エンジニアは数字を分析してシミュレーションするのはお手のものです。しかし「感動」というところまで持っていくにはどうしたらいいのか。それは自身の「感性の感度」を高めるしかありません。感性のアンテナを高くして、広い視野で見渡すことができたときにはじめて、ダイナミックレンジの大きさが受信できるようになります。それは、難しいことではありません。日々、何かを感じること、何かに感動すること。季節の変化でもいいし、気になった言葉でもいい。それを意識するかしないかだけで感性の感度は高まるのです。

 若いエンジニアには、ベルリン・フィルの「テクニカルコラボレーションプログラム」に参加してもらいました。ベルリン・フィルは世界最古のオーケストラのひとつですが、最新技術も大切にしています。自身のコンサートホールの音楽を配信するために、パナソニックは4K映像とハイレゾリューションオーディオの技術提供を行いました。かなり高いレベルを要求されることもあり、若い技術者の教育も併せてお願いしたという背景です。彼らには、世界的指揮者、演奏家の音楽哲学、サウンドマイスターがどのような音を聴衆に届けているか、最高峰の音のすべてを学んできてもらいました。

 では感動する音とは何か。私は「音が出る瞬間の生命力とエネルギー感」「長い時間聴いても疲れない音、毎日聴きたい音」そして、「エモーショナルフィーリング」だと思っています。大阪弁でいえば「良い音を聴いてなんぼ」ということですね。これが、私の実践してきた「サイエンスとアートの融合」です。

講演会の会場で披露された「リファレンスクラス」。ハイレゾ音源のすべてを引き出す、最先端の技術を投入したダイレクトドライブターンテーブル

モノも心も、ともに豊かな理想の社会を実現する

 2021年には、万博推進団体の理事に就任しました。パナソニックグループのパビリオンは「ノモの国(The Land of NOMO)」。「こころの持ちようによってモノのとらえ方は大きく変わる」。「モノとこころは写し鏡のような存在である」ということで、モノを逆さまにして「ノモ」と名づけました。パビリオンの鉄骨や柱の約98%は家電リサイクルから生まれたもの。パビリオン横の舗装ブロックにはドラム式洗濯機のリサイクルガラス部分を埋め込み「循環型パビリオン」としています。ここへ来たらすべての常識や社会通念、制約から解き放たれる。自分が世界とつながって一緒にコラボレーションできる。共創すれば課題も解決していける、という未来を描けるメッセージを発信していきます。

EXPO2025に出展するパナソニックグループのパビリオン。
「モノとこころは写し鏡のような存在である」という考え方からパビリオン名称を「ノモの国」と名づけた

 最後に、根源的な問いかけをしたいと思います。AI、ロボティクス、これほど技術進化した世界において、人類がいのちを輝かせて生きていくというのはどういうことでしょう。私は創造する力、自身で考えて行動すること、そして無限の可能性を感じることだと思っています。サイエンスとアートの融合は「感動」という革新を生み、いのち輝く未来社会への扉を開けるのです。万博でもそんな問いかけをしていきたいと思います。

JMAC代表取締役社長・小澤勇夫と


※本稿は2024年3月11日(月)に開催した「共感から始まる未来フォーラム 〜JMAC関西次世代ラボ〜」における小川理子氏の講演を再構成したものです。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』77号からの転載です。

※取材内容に関しては、取材時(2024年4月)のものです。

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