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時を得て「人」は育つ
~教育の真髄は"卒啄同時"にある~

九州電力株式会社
代表取締役社長 松尾 新吾氏

 私がまだ小学生のころ、わが家の壁に一枚の額がかかっていた。中の四角い色紙には卵とニワトリの絵と、傍らに一篇の詩のようなものが書いてあった。どういう意味かと親に尋ねると、これこそ教育の真髄であると次のように話してくれた。「卵が割れて雛がかえる瞬間、殻の中からかえりたがっている雛の声を受けて、親鳥がくちばしでちょっと卵を突っつく。そのときひながかえるのだ」と。  そこには、"卒啄同時(そったくどうじ)"(禅宗の言葉で機を得て両者が相呼応するの意)と書いてあった。  当時の私に真意が理解できたかどうかは別として、以来、この言葉は私の頭に強く焼きついた。

最初にビジョンを示す

 公教育・企業内教育ともに、日本では"卒啄同時"に欠け、それが今のさまざまな社会の荒廃や不安につながっているように思えてならない。さらに問題なのは、教育によって目指すべきところも明確ではないということである。

 無資源国の日本では、資源は「人」だけである。国をあげて人を磨きに磨き抜いて、世の中に出し、世界に送り出す。磨くべきものは、スキルとマインドの二つに尽きる。

 「人材立国」――これこそが、日本と日本企業が世界に冠たるための唯一の道ではないかと思うのだ。リーダーが最初に示さなければならないのは、こうした明確なビジョンである。

経営判断の根幹は「お客さま」

 株主総会で社長就任が承認されると同時に、私は次のような経営の基本理念を全従業員に向けて一斉に流した。

  1. 社会的信用を培い、これを維持する
  2. 経営の原点はお客さまにある
  3. 収益性を大切にする

 一つ目は、企業不祥事が起こらないための対策ではない。そもそも「社会的信用」が得られなければ、企業体として一つの組織が存続できないということを、最初に掲げておきたかった。

 二つ目は、経営判断の根幹に「お客さま」を据えなければならないということである。迷いが生じたとき、自分の都合ではなく、お客さまの都合をまず考えて、そこから解答を求めれば自ずと正解が見えてくる。

 たとえば、現在電力業界で最も問題となっている「水平分割」についてもお客さまを中心に考えてみる。電力会社に勤める者は、「お客さまに電気が届かなければ我々の存在理由はない」と誰もが考えている。台風で停電するようなことがあれば、昼夜を分かたず必死になって復旧作業に従事する。そうした使命感が保たれなければ、お客さまにとって最も重要な安定供給が危ぶまれる。このように、お客さまに焦点を合わせれば、自ずと道は見えてくる。

そして、三つ目の健全な収益性とは、電気事業において無軌道な価格競争に陥るべきではないということ、また新たに事業展開を図る場合には、これをキーポイントとすべきであることを示したものである。

人材は時代が選ぶ

 こうしたビジョンを、歴史的裏打ちのある時代認識をもって、お客さまの真のニーズを把握しながら、従業員の心に確実に届けるのがリーダーとしての私の役割であろうと認識している。漠然とした将来への不安が増幅する現在、無用な不安感を払拭して、健全な危機感の共有を促すことが、今の時代のリーダーに与えられた使命であろう。

では、次代のリーダーには何が求められ、どのような人材を育成していけばよいのだろうか。

 リーダーには、現状分析力、先見性などが求められるが、不可欠なのが人間的魅力であろう。それは、人から信頼を得る力であり、カリスマ性と呼ばれるようなものかもしれない。また、広く多くの関係者から問題に関する聴く耳を持つことであり、現実を直視し、将来を予見することで自ら得心して速やかな決断をする力であろう。

 次代を担う能力と人望を兼ね備えた人材は、時代と共に自然と浮かび上がってくるように思う。時代という親鳥に殻を啄ばまれた人材が、"卒啄同時"で生まれてくるのではあるまいか。

※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.9からの転載です。

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