技術経営の普及で企業・産業に活力を
北陸先端科学技術大学院大学
知識科学研究科 教授 井川 康夫氏
井川教授は2004年から北陸先端科学技術大学院大学において、実学という現場発想、現場に立脚した理論と実践の融合という視点から技術経営の研究をされています。 前職東芝で研究者として10年半導体の研究を行い、米国スタンフォード大学電気工学科客員研究員、英国の東芝ケンブリッジリサーチセンター副所長、東芝材料デバイス研究所第三研究所長・第三研究ラボラトリー・リーダー、東芝研究開発センター・チーフ リサーチ オフィサー・副所長などを歴任され、2004年現職に着任されました。 今回は、技術経営の視点から産業界の復活に向けたお話をお伺いしました。
失われた20年をイノベーションで取り返す
Q: 「失われた20年」と言われる時代、日本はどのように復活していったら良いとお考えでしょうか。
井川: 「失われた20年」の中では各産業の復活に向けさまざまな施策が行われてきましたし、専門家の方々の一致する意見としても、イノベーションの重要性が言われてきました。しかしながら、従来の延長線上にあるインクリメンタルなイノベーションではこの状況を変えることができなかったということです。さらに、デジタル化と国際化という波が起こり、知識が急速に拡散して競争力がすぐに失われてしまうという現状においては、付加価値の高い領域でイノベーションを起し続けていかなければ日本企業は生き残っていけないと思います。
Q: 日本の再生に向けてどのようなスタンスが必要だとお考えでしょうか。
井川: イノベーションというのは本質的には非連続であり、変化の中に機会を見出すのがイノベーションマネジメントなのです。ただ、それを行う人間というのは本質的に変化を嫌う現状維持のマインドがものすごく強く、イノベーションを起しづらい体質であるというのも実状です。
今回の東日本大震災はとても悲しい出来事ですが、経営者は今までの延長線上の考え方ではできなかったことを、マインドを変えて実行する機会、根本的な部分で出来なかったことを周りの賛同を得ながらできる機会と捉え、日本の復興、再生に繋がるようにしなくてはいけないという気がしています。震災を、次の成長カーブを強制的に思考するトリガーにしていかなくてはいけないですね。
また、過去の歴史を参考に、あるいは諸外国の例から非連続の変化というものがどうだったか、学べる点は学ぶ、そういった経営的視点、姿勢が重要ではないでしょうか。
Q: R&Dの役割、価値観を今後どう変えていくべきだとお考えですか。
井川: R&Dといっても、新しいことを生み出すラディカルイノベーション、今の競争力をさらに強化するインクリメンタルイノベーションという2つの方向性があり、双方で求められるマネジメントも違ってきます。限られた人数で開発を進めなければならない現状においては、同じ組織の中で2つのイノベーションが混在しています。その2つのマネジメントの両立と、イノベーションを支える技術者の力を最大限に発揮することが今後の課題になるでしょう。
また、現在サービスの領域でイノベーションを起すことが重要だと言われています。主観的であるカスタマーの声だけを聞いていたのでは本当のことがわからないということが起っているのです。最近のアップルが良い例かと思いますが、プロフェッショナルである提供側がカスタマー自身も分かっていない顧客要求を探り出すということが、大きな付加価値を生むと考えています。
日本でも新興国でも同じですが、人間は生活レベルが上がってくればくるほど、高い生活クオリティを求めるものです。より高い要求を理解でき、高い要求を創りだせる日本であり続けて欲しいとも思っています。
プロフェッショナル人材の育成
Q: 新しいイノベーションを生み続ける「プロフェッショナル人材」の育成に、企業はどのように取り組んでいけば良いでしょうか。
井川: 人材育成には多くの時間と費用が掛かるものですから、短期的には人材育成の優先度が下がってしまう傾向があります。組織的にみると情報通信が発達して、フラット化が進み、その中で細かく面倒をみるといったことが出来なくなっているのではないかと思っています。また分業化の弊害というのもあって、言われたことはうまくやるのだけれど、環境が変わるとどう動いて良いかわからない。応用がきかないわけですね。
現場では暗黙知を形式知化するという努力をされています。しかし、暗黙知を暗黙知として伝達させる方法が時間的効率が一番良い場合があり応用力にも繋がります。さまざまな環境で議論をさせる。議論をする中で、暗黙知が伝わっていくという方法、平たく言うとコミュニケーションということになりますが、その中でしか伝えられないものがあるのです。
R&Dでいうと、科学的知識に対して技術要素が増えるほど暗黙知が増えていきます。暗黙知はそう簡単に伝承できるものではないため、懇切丁寧に人を教育していかないと、将来、競争力を失うということに繋がりかねないと危惧しています。デジタル化、国際化がさらに拍車を掛けることは間違いないですね。
Q: 「暗黙知」というキーワードが出ましたが、そのマネジメントで工夫すべき点など教えてください。
井川: たとえばGoogleの20%ルールの例があるように、R&Dの創造性というマネジメントにおいては、研究者自身が自律的に動けるか、そういう仕事の環境にあるかどうかが、重要な要素であると言えますね。
以前、私がいたキャベンディッシュ研究所は、当時でノーベル賞受賞者を30人近く出していますので、ノーベル賞を取るという視点からすると効率のいい組織なのです。その組織の人たちと話をしていると、言葉では表現できない独特のマネジメントがありました。
プロフェッショナル人材を育てるには、自律性を与えることで、内発的モチベーションを高めてあげる。そのようにして自律性が創造的な仕事に繋がると思います。
Q: 暗黙知の伝承はどの企業でも課題にされていますが、有効な方法はありますか。
井川: R&Dにおける暗黙知の伝承は言葉では伝えられない要諦があり、それは経営の世界でも起っていると思っています。資料を集めロジカルに詰めていては、時間が足りず現実が先に進行してしまう。そこで、暗黙知を暗黙知として伝承できると、必要な事を早く伝えることができ、スピード感のある意思決定に結びつけることができるのです。
R&Dのマネジメントで、ステージゲート法というのがありますが、ロジカルなステップを踏んでいき、途中のゲートを含めてデシジョンの場面があります。そこでは、ロジカルではない「経験値に基づく直観」も駆使してトップリーダーが一人で結論を出していかねばなりません。脳科学でも経験を積めば積むほど直観力が冴えてくると言われていますが、直観力を鍛えるには、時間が掛かるし、教育もしなくてはならない。
その直観力を鍛える方法として、ステージゲート法の中でデシジョンメーキングの場に次世代を担うメンバーを入れ、リーダーの直観力を持った意思決定の場面に立ち会わせて経験させるという方法があります。それは現リーダーからの経験知として伝わり、年が経てば結果もわかる。次世代のリーダーにとっては良い決断も悪い決断も、マネジメントの経験として財産になるわけです。非連続の意思決定をする場を次世代を担う人材と共有する。こういった伝承のメカニズムを組織の中に組み入れる企業が、永続的に存続できるのではないかという気がします。
Made in JapanからDesigned in Japanへ
Q: 国際化の流れの中で日本はどのように生き残りをかけていくべきでしょうか。
井川: 先ほど、サービスの領域でイノベーションを起すことが求められていると申し上げましたが、「カスタマーでも分からない顧客要求を探り出す」ためには、組織のどこでも、ある意味誰もがイノベーションを起さないと、企業の付加価値が付いていかないと考えています。そういった視点からすると、今後は自律性を与えるというR&D的なマネジメントを、組織全般に浸透させていかなくてはいけない。そういう時代に入っているのだと思います。
また、この国際化の中、日本人はもっと外に出ていかなければならないと思います。それもただ海外に進出するということではなく、グローバライゼーションとローカライゼーション両方の視点を持ち外に出ていくことが、市場に対し付加価値の高いものを提供することに繋がるでしょう。そうでなければこのデジタル化、国際化の中で生き残れないと思います。
1億何千万の人ではなく、今や70億に達する勢いで2050年には90億になると言われている世界の人口を対象にしなければならないのですから。
Q: 日本の価値を最大限に発揮する方法にはどういったものがありますか。
井川: たとえば、日本の文化に非常に関心を示す諸外国の方々が多くなってきていますね。一部ではあるけれど、日本独特の価値観が普遍的な視点で受け入れられているのです。それはコンテンツ産業の世界でもありますし、食の世界でもあります。こういった他に真似できない付加価値の大きいものを、日本がどうやって世界に発信し、展開していけるか。そこが日本の価値を高めることに繋がると思います。海外の方と話をすると、日本のアートなどにすごく興味を示すわけですね。素晴らしいし、学びたいとおっしゃる。ここに我々の解決策があるのではないかと言ってくれる人もいます。
日本は昔からMade in Japanで、今でも高い技術力に軸足を置いていらっしゃる企業が多いですね。鉄鋼産業のように日本の高い技術力を持って、もっと上の価値の高いものをリーディング産業としてやらなくてはならない。それは日本がやり続けなくてはならないことだと思っています。
しかし一方で、Designed in Japan、あるいはDesigned by Japanese cultureで付加価値を出すといった発想があっても良いのではないでしょうか。ベースにはもちろん他国に真似出来ない高い技術があって、その上に日本でしかできないデザインやカルチャーなど発想の幅を広げ、日本の魅力を発揮し、発信する。そういったことが今後の日本の復興にも繋がると考えています。
※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.42 からの転載です。
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