トップの「無私の覚悟」と明確なビジョンが、人を動かす!
~不退転の覚悟で臨んだ経営者への道~
協和発酵キリン株式会社
相談役 松田 譲 氏
「手前味噌」という言葉があるように、かつて地方では家庭ごとに四季折々味噌をつくる風習があった。新潟の田舎育ちの私もそうで、生活の中に発酵食品が溶け込んでいた。当時、微生物学、発酵学を専攻していた私は、恩師の助言もあり、発酵学の権威でもある加藤辨三郎氏の創業した協和発酵工業へと進路を決める。キーワードは「発酵」。何か自分にぴったりの分野ではないかと感じるものがあり、同社で研究を続けることを決意した。
「壁・壁・壁!」研究所には多くの壁があった
入社後、配属されたのは伝統ある東京研究所。微生物からアミノ酸工業生産に世界で初めて成功した権威高き研究所である。そこで、癌の治療薬研究班に配属されたのだが、時間の経過とともに、研究所に立ちはだかるただならぬ壁を目の当たりにする。
研究所は、研究ジャンルごとに縦割り組織となっており、予算、人事権、テーマのマネジメントに至るまで、すべての権限が主任研究員に集中していた。スポーツに例えればゴルフやテニスなど、いわば個人プレーの組織体制。研究所間の人事交流や横の連携も殆どなく、個々の研究員の着想に固執する研究体制が画期的な医薬開発の妨げになっているのは明らかだった。
いわゆるバイオテクノロジー、微生物を利用してその機能を探るという研究が目的であれば、成果やコスト面でも研究室単位である程度の答えを出すことができる。こういう研究は言わば「自己完結型」と表現できるだろう。
一方、医薬品は膨大な時間と資金を費やして、初めて世に送り出されるもの。医薬品の種を発見することなどは、医薬品開発におけるプロセスのほんの一部にすぎない。つまり、医薬品開発で求められるのは「チームワーク型・ネットワーク型」ビジネスではないかと。このような経験を通し、研究所のあるべき姿が私の中で描かれはじめたのだった。
壁を崩すのは人の繋がりしかない
そして、転機が訪れた。2000年、東京研究所の研究推進室長を経て、静岡県三島にある医薬総合研究所長に抜擢されたのだ。就任するやいなや、これまで問題と感じてきた研究所の組織の壁を崩すべく、抜本的改革を断行。研究所間の人事交流も積極的に行い、部門をまたいで業務にあたる組織づくりを目指した。
テーマやジャンルの絞り込み、変更などにも着手。当然、研究員たちから反発が出た。私は彼らと夜を徹して、徹底的に話し合った。話すといっても、一方的に意見を押し付けるのではない。現状認識と目指すべきゴールの2点に絞り、あとはとにかく彼らの声に耳を傾けることに最も時間を割いた。
立場からの命令だけでは人は絶対に動かない。リーダーに大切なのは聞く耳を持つ包容力であり、そうして丁寧に時間をかけ、ビジョンを共有することが強い組織づくりに不可欠だと考えた。
「全て燃やして」決死の覚悟で臨んだ経営への道
そして、2002年、さらなる辞令が下る。まさに青天の霹靂。ずっと研究畑を歩んできた私が本社総合企画室長に抜擢されたのだ。研究マネジメントから経営に移る差異は非常に大きかったが、私は腹をくくった。
研究者は行き詰まると自分の専門分野に逃げ道を求めてしまう。だから私は過去の研究所時代の経歴をすべて断ち切らねばと、所長室を去る時、書物や資料を詰め込んだ山積みの段ボールを焼却処分して、本社にやってきた。まさに不退転の覚悟を持って、経営に挑んだのである。
経営に携わるとはいえ、その時点ではPLもBSも資本コストも何もわからない状態だった。見かねた上司の勧めもあり、日本能率協会の経営者育成プログラムに参加し、1年間かけて猛勉強した。この死にもの狂いの勉強が、その後の経営者としての私のベースとなり強みになっている。
本社では、研究所のように医薬事業だけが対象ではない。当時の協和発酵工業には医薬以外に、食品、化学品、バイオケミカルの3つの事業があった。それらの4つの事業とも、本を正せば発酵工業なのだが、大きく事業内容が変遷している時期であり、またそれぞれの事業も、業界の中で大きな転換期を迎えていた。そのような状況下で今後の会社のビジョンを見定めていくのは非常に困難を極めた。
そんな折、当時の平田社長より方針が示された。4つの事業がそれぞれ協和発酵工業でポートフォリオを形成するというより、その業界の中で優位性を出さなければならないと。それは医薬品事業を主軸に、3つの事業をぶら下げるという青写真だった。
そして構想から1年。翌年2003年、私は社長に就任した。
事業発展のシナリオを描き、信念を持ってやりきる
よく投資家や関係者から、ものすごいスピードで大胆な改革を断行したと評価いただくが、私は総合企画室長時代に1年間温めた構想を、ただ実行したにすぎないと思っている。この改革エッセンスのベースにあったのは「バイオテクノロジー・発酵工業」というキーワードだ。
当時全盛であった合成医薬の路線では限界を感じ、既に欧米で兆しをみせていた「バイオ医薬」とりわけ「抗体医薬」のグローバルリーダーになるというコンセプトを打ち出した。そして、残りの事業については、「雇用を守る」・「事業それぞれの発展性のシナリオを描く」という2つのポイントをベースに整理を進めた。
具体的にはキリンファーマと統合し、バイオ医薬のグローバル・スペシャリティファーマを狙うというシナリオである。キリンファーマは協和発酵と生い立ちが似ている。それだけでなく、製薬業界全体の中での兼業メーカーとしてのポジションや、将来の方向性も当社と非常に近いものがあった。だからこそ、キリンファーマが当時保有していた製品と協和発酵の営業力をもってすれば、すぐにシナジーは発揮されるだろうと考えた。
もちろん、合併によって売上が落ちるのではと危惧する投資家等の声もあったが、私にはそれを覆すだけの勝算があった。事実、主力製品シェアにおいて、統合前は37%だったものが今60%くらいになっているものもある。これは私にとって、最もわかりやすい統合のバロメーターだ。
「"スパッ"と腑に落ちる」だから人は動くのだ
だが、企業統合はそんな簡単な話でもない。私には日々社員から山のようにメールが届いた。手当が違う、出張費の処理が違う、中にはホームページの色がどうだとかまで。自分の給料は、仕事は、立場はと。些細な事と思われるかもしれないが、当事者にとっては一大事。でもそれが当たり前の姿なのだ。
要するに何のために二社が統合するのか、重要なのはトップが社員に対して"スパッ"と腑に落ちる説明ができるかだ。ビジョンが明確になり、共感し、納得すれば、社員も一緒になってやっていこうと前向きに思うようになる。
そこで、異なる文化を持つ二つの会社の社員が、価値観を共有し、自分たちの手で新会社の理念を創りだそうというプロジェクトをスタートさせた。総勢1,000人を超える社員が自主的に参加し、製薬会社で働く意味や志を出し合った。皆が思い思いに浮かんでくるキーワードを書き、それを付箋で張って、それらの言葉を紡いで文章にした。その多くの熱い想いが凝縮され、出来上がったのが「私たちの志」。自分たちはなぜ協和発酵キリンを誕生させたのか。社員を巻き込んで、徹底してストーリーをつくりあげていく。これはPDCAでいうPの部分。「私たちの志」があって、はじめて次のDへつながっていくわけだ。
トップ自らが一番の営業マンになる
昔と今とでは、求められる経営者像は異なる。理屈や立場で指示を出したところで、人は納得して行動を起こさない限り、組織として歯車がかみ合い、力強く進むということはない。
私は、トップのあるべき姿として、「行動基準8箇条」を掲げている。トップは痛みを伴う改革であったり、時に非情と思われる決断もしなければならない。社員に好かれようとすると、その場限りの発言をしたり、その局面で態度が変わったり、要するにブレが生じてしまう。そのような言動不一致やブレは瞬時にトップの統率力を奪うだろう。
とはいえ、経営者も人間。誰も進んで嫌われたくはない。だからこそ「あの人が言うことだから仕方ない」と思われるような魅力的なリーダーにならねばならない。その為の行動基準がここに集約されている。
何より「率先垂範」。私は社長時代、朝7:30には出勤し、毎週土曜日はMRと一緒に全国津々浦々、営業支援にまわった。山奥の診療所まで私の名前があがらない場所はないと言われたくらい、東奔西走した。現場を知り、足を運ぶことも大切だ。会社のため、社員のためにトップが身を粉にしなければ説得力など生まれない。
最後に、私はビジネスモデルの賞味期限は10年と考えている。定期的に組織を刷新して活性化を図り、次世代のリーダーを育成することもトップの重要な役割だ。
そして「自分に厳しく」。これは幹部候補生向けに話す際、私が最後に言う言葉である。
トップとして強力なリーダーシップを発揮するためには「経営のプロとして無私の覚悟」が必要だ。自分に厳しく、率先垂範できてはじめて経営者の人間的魅力が生まれる。そして、将来に向けた明確なビジョンを掲げ、それをストーリー性をもたせて社員に提示できること。それこそが模範たるトップの姿ではないだろうか。
※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.48からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。
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