夢の実現には「ブレない経営」が必要だ
〜新時代のトータル・ヘルスケアソリューションを創薬で支える〜
田辺三菱製薬株式会社
代表取締役会長 土屋 裕弘 氏
田辺三菱製薬株式会社は2007年10月、田辺製薬と三菱ウェルファーマの合併により誕生したが、その創業は338年前にさかのぼり、日本最古の製薬企業である。同社の「レミケード」は難病といわれる疾病を中心にクローン病や関節リウマチなどの効能を取得し、日本における生物学的製剤の未来を切り拓いたといわれている。2009年6月、代表取締役社長に就任した土屋裕弘氏は「夢のある新薬を創製し、夢のある企業を実現しよう」と呼びかけ続けた。今回、土屋氏に当時の想いや経営者にとって必要な視点、そして今後の展望についてお聞きした。
入社当時の夢は研究所長 しかし意外な道へ進むことに
鈴木:土屋会長は大学時代ずっと薬学を勉強されていて、博士号まで取られました。薬学の道に進まれた理由や田辺製薬に入社した当時の想いをお聞かせください。
土屋:私は男ばかりの6人兄弟の5男で、私を含めて5人が理科系・技術系の道に進みました。上の二人は化学系で、こうした環境で育ったせいでしょうか、モノづくりに興味があったこととそれを病気の治療に役立てたいとの想いから薬学の道、とくに有機合成の世界に進みました。
私が在籍していた大学の研究室は「何でも好きなことを研究しなさい」という風土であり、自分で研究テーマを探しては、いろんな研究をしましたね。そういった自由闊達な雰囲気の中で研究をした経験が、自由闊達な会社にしようという原動力になっています。
博士課程を終えて田辺製薬に入社し、研究所に配属されたときの夢は、患者さんを助けられる革新的な新薬の創製を直接指揮できる、研究所長になることでした。しかし研究所にいたのは最初の10年、その後は研究企画部、経営企画部と企画畑を歩むことになりました。当時は研究所から経営企画部への異動の前例はなく、最初は戸惑いましたが、結果的にはとても良い転機になったと思っています。研究所の外でさまざまな経験を積み、物事を多面的に見ることができるようになりましたし、研究企画部では共同研究、経営企画部ではM&Aなど、多様な実務経験を積むことができたのは大きな収穫でした。
研究はリレー競技のバトンタッチ 薬を育て、人を育てる
鈴木:1995年に経営企画部に異動された後、2003年に研究本部に戻られました。経営企画部を経験して研究所の所長になられたとき、研究所のマネジメントに対する見方がどう変わられたのか、また、マネジメントの具体的な内容についてもお聞かせください。
土屋:まず、企業規模に合った研究開発をするために、自社単独でどこまですべきか、外部の力をいかに活用するかに着目するようになりました。実際に産官学や国内外を問わず、いくつかの共同研究・開発も行いましたが、外部連携の重要性を肌で感じました。医薬品は情報、技術、知識、知恵の集積体ですから、医薬品産業は情報産業とも言えます。その情報収集のためにも外部とのネットワークやコミュニケーションは非常に重要です。
私たちは、薬を世の中に出した後も薬を使った患者さんの症例などの情報を集めて分析し、その結果について医療関係者に薬の適正使用情報として提供しています。同時に、医療関係者から医療現場のニーズを的確に把握することを通じて、適応症の追加、用法用量の変更などを行っています。こうして薬の価値を高めていくことを「育薬」と呼びますが、その一例が当社の生物学的製剤「レミケード」です。最初の適応症はクローン病でした。育薬の結果、関節リウマチなどの効能を取得し、その後も随時適応を拡大しながら発売以来10年以上にわたり多くの患者さんの治療に貢献しています。
研究員のマネジメントでは、所員が自由闊達な雰囲気の中で研究ができるように心がけました。研究員は当時約400名在籍していましたが、一律に管理監督することはせず、研究テーマを決めるまでは自由に議論をして、ある程度テーマが決まってきたらみんなで一緒にやろう、と言っていました。ただ、製薬企業の研究開発の結果は上市できるかできないか、0か100の世界で、不安やストレスを抱える担当者も多いのではないかと感じていました。その際、相談できる相手がいることがとても大切なため、私は常に「ひとりで悩むな、ひとりで闘うな、相談相手を持て」と言っていました。このときに始めたのが、新入社員の3〜4年先輩を相談相手とする制度です。今で言うメンターですね。現在もこの制度は続いていますが、当時から新入社員には「いずれは自分が良き相談相手になりなさい」と言ってきました。
研究開発は、陸上競技のリレーのバトンタッチのようなもので、過去の膨大な研究結果が現在に活かされ、現在の研究が将来の科学に貢献していきます。人の育成も同じです。創薬や育薬のように、人の育成もまた継続的に行っていくことが大切なのです。
3つのアクションで「夢のある企業を実現しよう」
鈴木:2007年に田辺製薬と三菱ウェルファーマが合併した後、2009年に社長になられました。そのときの想いや、その想いを実現するためのマネジメントの秘訣などをお聞かせください。
土屋:私は社長になってから常に「夢のある新薬を創製し、夢のある企業を実現しよう」と言い続けてきました。当社は、1988年に創設された日本薬学会創薬科学賞において自社創製した狭心症・高血圧症治療剤ヘルベッサーが第1回の受賞をして以来、脳梗塞治療剤ラジカット、多発性硬化症治療剤イムセラ、2型糖尿病治療剤カナグルと、計4回受賞するなど、患者さんが待ち望む画期的な新薬を創製し続けております。新薬には患者さんだけでなくご家族、医療関係者、研究者など、すべての人の夢が全部詰まっています。そのような新薬を創製して「夢を実現しよう」という想いがここには込められています。
同時に、社員のみなさんには自分の仕事に誇りと喜びを感じてほしいと思っていますので「自分の今まで得た経験で薬をつくって、その薬がこんなにも世の中の役に立っている、これは幸せなことであり、大きな喜びなんだよ」と伝えてきました。社員のみなさんが退職するときに「いい会社人生だった、すばらしい会社に勤めた」と思えるような会社にすることを心がけてきました。
また、夢は見ているだけではなく、つかみとる努力をしなければなりません。夢の実現のためには自由に意見を言えることが大事で、そのための具体的な3つのアクションを言い続けてきました。
1つ目は「自ら考えて行動せよ」――これは何か課題があってなかなか達成できないときには、できない理由ではなく、どうやったらできるのかを自分で考えなさい、という意味です。2つ目は「ひとりで悩むな、ひとりで闘うな」、3つ目は「学問・異動・協業のススメ」です。「学問のススメ」は社会勉強しなさい、「異動のススメ」は人事異動で仕事の幅と人脈を広げなさい、そして変化に強くなりなさい、「協業のススメ」は社内外と積極的に協業しなさい、そのためには強みを持ちなさい、という意味で、どれも私の経験から生まれています。
私たちは「すべては患者さんのために」という共通の想いを持って、新薬の開発を続けています。しかし、研究開発をして世の中に新薬が出るまでに15年以上はかかりますので、これから先のメディカルニーズはどうなるのか、世の中はどう変わり、科学技術はどの程度進歩しているのか、その潮流を捉えながら研究を進めていく必要があります。そのときに役立つのが、この3つのアクションです。
国際創薬企業としての使命 人の一生を創薬で支える
鈴木:新薬の開発は10年、15年先のニーズを考えながら進めることが必要だというお話がありました。国際創薬企業としてグローバルに展開する際の取組み、展望についてお聞かせください。
土屋:すでに世の中に出ている薬によって、一部の疾患の治療満足度が上がってきているのですが、治療法が確立していない病気、いわゆるアンメット・メディカル・ニーズに対する新薬については、どのようにアプローチしていくかが課題となっています。新薬の創製については、研究の種は外から持ってきて、自分たちは開発研究に特化していくことも可能ですし、反対に自分たちが見つけた新薬の種を他社と共同開発するなど、今後はこのようなオープンシェアードビジネスが確実に増加します。
海外展開を進めていくうえで、自社単独で研究開発を進めていくことが必ずしも望ましい姿とは限りません。新薬の価値を最大化するためには、どこまで自社でやって、どこから先を他社に任せるのかを考えることが重要です。
こうした流れの中では、今後は外部との連携やコミュニケーションがますます重要になります。競合他社ともお互いの持っている経営資源を有効活用し合ったりすることも必要になってくるでしょう。
また、今までの薬はそのほとんどが病気を治すためのものでしたが、これからは健康の維持、未病状態(症状がない病気予備軍)の改善、病気の予防、病気の予後までのすべてを含めて、健康寿命を延ばすトータル・ヘルスケアが求められてきます。たとえば、健康なときにはスポーツクラブ、予後には専門施設の管理などが必要とされますから、薬だけでなく、異業種との協業やコラボレーションも必要になってきます。ですから、新たな時代のトータル・ヘルスケアを実現するためには、製薬業界も他の業界も今までの業界の範疇から一歩二歩踏み出すことが大切で、それにより新しい枠組みによる新しいビジネスや事業、産業が生まれてくるはずだと思っています。そういう意味でも、トータル・ヘルスケアは今後伸びていく分野ですし、製薬企業が貢献できる領域も広がっていくと期待しています。
「くすりの町」大阪道修町から世界に情報を発信する
鈴木:田辺三菱製薬は今年で創業338年を迎える、たいへん歴史のある会社です。東京に本社を置く会社が多い中、大阪・道修町に本社を置き、なおかつこの地に史料館を建てたことへの想いをお聞かせください。
土屋:道修町は日本の医薬品産業発祥の地で、田辺製薬は日本最古の製薬企業としてこの地で創業しました。ここから世界に向けて薬を創製してきた338年の歴史は重いと考え、この地に本社を置いています。
その歴史を伝える史料館をここに併設したのも、この町が「くすりの町」だということをもっとみなさんに知っていただきたいという思いからでした。
道修町には今もなお製薬企業が多く、医薬品出荷額でも関西は全国の3割を占め日本一ですが、このことは世間にはあまり知られていません。製薬企業はビジネスの相手が限定的で、消費者との接点が直接的でないため、関心の対象になりにくいのでしょう。
また、世界の医薬品売上高上位100製品に占める国別シェアにおいても、日本は米国に次いでスイスと共に世界第2位を誇ります。医薬品産業はこれからも日本の重要な産業であり続けると思いますので、私たち製薬企業はもっと情報発信を通して開かれた産業として、存在感を示すべきだと思っています。関西、とくにこの道修町発の新薬を世界に向けて発信していきたいと思っています。
自由闊達に「ものを言える風土」こそが人と会社を元気にする
鈴木:最後に、土屋会長から次世代を担うトップ、経営幹部の方へ向けたメッセージをお願いします。
土屋:経営にとって企業風土は非常に大事です。企業風土というと、どこか他人事と捉えがちですが、自分自身が企業風土のひとつだという自覚を持つべきです。企業風土をこうしたいと言う前に、まず自分自身が変わる努力をしなければなりません。そして、その企業風土は、お互いに思っていることを言える自由闊達なものであることが大事です。
私はよく「逆命利君」(中国・漢代の説話集にある一説「命に逆らいて君を利する、之を忠と謂う」)がとても大事だと言っています。これは、上司の言ったことでも会社のためにならないと思えば違うと言いなさい、それがまた会社を変えることになるのだから、ということです。私自身も入社以来「こうあるべきだ」と思うことは言ってきましたし、今でも心がけていることです。また経営を担ってからは、反対の立場で、部下の言う「耳の痛い」話も真摯に受け止めるように心がけています。
確固とした企業風土をつくるためには、一貫性のある「ブレない経営」が必要です。次世代のリーダーには、自分自身が企業風土そのものだということを自覚し、自由闊達に「ものを言える風土」をつくってもらいたいですね。
【対談を終えて】鈴木 亨のひとこと
土屋会長とのインタビューでは「自由」という言葉を多くの場面でお使いになることが印象的でした。自由闊達な雰囲気、夢を実現するためには自由に意見を言えること等々、学生時代からの経験が研究所、会社のマネジメントに活きていること、そしてTOP としてブレない経営をすることに対する熱い想いを伺うことができました。創薬、海外展開、これからも田辺三菱製薬の躍進に期待したいと思います。
※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.61からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。
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