経営者の「覚悟」が改革の要
「人と企業風土」を育てるアサヒ流の改革
アサヒグループホールディングス株式会社
代表取締役会長 兼 CEO 泉谷 直木 氏
「経営者は金ではなく、いぶし銀であれ」――アサヒグループホールディングスの泉谷直木氏(代表取締役会長 兼 CEO)の言葉だ。いぶし銀は常に磨いておかないと光らない、すなわちトップに立つ者こそ常に「自己研磨」に勤しむべしという経営者・泉谷氏の実践哲学だ。さらに、経営においてもっとも重要なのは「人と企業風土」であると断言する。「経営者自身の成長がないと、経営改革は成功しない」との信念のもと改革を推し進めてきた泉谷氏に、厳しい環境下にあるビール事業の事例を交えながら、企業価値を高める改革への想いとその軌跡を存分にお話しいただいた。 ※2017年11月6日のJMACトップセミナー「アサヒグループのチャレンジ経営」より
「人と企業風土」を改革し 激動の時代に勝ち残れ
近年、経営環境と経営課題は激変しています。日本のビール市場は、1994年のピークを境に数量は毎年1%程度下がり続け、昨年までで25%以上減少しています。今後も少子高齢化の流れの中で1%程度の減少が見込まれており、ビール事業の経営者としては「いかに生き残っていくか、勝ち残っていくか」が非常に重要な経営課題となっています。
一方、国内で生き残れたら安泰かと言えばそうではなく、もはやグローバルに市場を見ていく必要があります。昨年、世界第1位のアンハイザー・ブッシュ・インベイブ社が世界第2位のサブミラー社を買収し、世界売上の約30%、利益においてはそれ以上のシェアを占める巨大ビール会社が誕生しました。ゆえに、今後は規模の戦いではなく「グローバルの中でどのようなポジションをとるか」がわれわれのテーマになってきます。
一般的に経営資源は「人・もの・金・情報・企業風土」と言われていますが、こうした厳しい時代に勝ち残っていくために私が最後の最後に一番大事だと思うのは、「人と企業風土」です。イノベーションや戦略的経営も必要ですが、人があっての話ですし、新しいものに挑戦しようという企業風土でなければ、いくら経営幹部が笛を吹き太鼓を叩いても現場は動きません。したがって、その「人と企業風土」に焦点をあてた経営が必要だと考えています。
今日はこの「人と企業風土」をテーマに、われわれが2000年前後から進めてきた経営改革のプロセスを、成功話だけでなく失敗話も含めてお話ししたいと思います。
「発想の転換」がポイント 市場のニーズが商品価値を決める
経営改革でまず第一に必要なのは、基本的な「発想の転換」です。業績が悪くなると経営陣は「どうやって売るんだ」と議論しがちですが、「どうやって買っていただくか」に頭を切り替えなければなりません。ここで一番いけないのは「俺たちの時代はこうだった」という思い込みです。お客様のニーズやウォンツはどんどん変化していますから、常に変化を予測して今起きている事実を確認しておかないと市場ニーズとずれてしまい、買っていただける商品を開発できるはずがないのです。
今、お客様が求めているのは「精神的な満足」です。物的品質の「おいしい・安全・安心」だけではなく、「買いやすい・運びやすい、楽しい・嬉しい」などの満足感も提案していく必要があります。またコミュニケーションは、かつてはマスメディアでの広告宣伝が中心でしたが、今はSNSでお客様とダイレクトにつながり、意見交換することが重視されています。こういった時代には「体験」は必須で、実際に飲んで期待を超えた満足感があり、それを経て商品を買っていただく時代になったのです。
また、売上が上がらなくなると、営業部門や生産部門がそれぞれに勝手なことを言いがちですが、それでは社内でパワーを結集できません。こういうときこそ、会社全体で「お客様にとって価値のあるものをつくって販売する」という共通の価値観を持っていないと買っていただける商品は開発できません。新しい価値や品質を持った商品が開発できれば、営業も自信を持って商品の品質を語ることができ、「そこを何とかお願いします」というお願い型営業から脱却できます。
ですから、私はリサーチ・開発・マーケティング・ファイナンス・特許の機能をつなげて一気通貫でやろうと言ってきました。会社全体で新しいものを創造していく組織風土の中で商品をつくっていけば、まさに営業と生産と研究開発部門が一体となって事業が進み、生産性も上がると考えています。
「経営側」の意識と行動を変える アサヒ流・トップ主導の社内改革
社内の改革をするためには、まず経営側が意識と行動を変える必要があります。たとえば、グローバル化したいのなら、「グローバル意識を持て」と言うだけでなく、そうした経験ができる場を用意するのです。先ごろのM&Aでわが社の外国人比率は半分を超えましたが、こういう環境の中で「現地の技術部門と技術交流する」「世界中の事業会社から幹部候補社員を集めて一緒に研修を行う」といったことを繰り返し行うことで、結果的にグローバル意識を持てるようになると考えています。
さらに、「またか」ではなく「あれっ」と思わせる社内の仕掛けも必要です。当社の株価は経営努力の甲斐があって、この6年で3.5倍になりました。すると「自分の財産が増えた」「企業価値が上がっている」と実感し、仕事に対する意識も変わります。その中で企業価値を高めるための3ヵ年計画を打ち出せば、「なるほど企業価値とはそういうことか」と理解してもらえるのです。
また、改革は業績に勢いがあるうちにすることが重要です。傷が小さなうちに素早く対処すれば、問題は大きくなりません。このとき、できることからするのではなく、「簡単にはできないが重要なこと」や「本質に迫ること」をすべきです。もっとメカニズム的にやるべきなのです。
人事政策では、多様化する市場に対応できる強いチームをつくることが大切です。そのためには画一的な「金太郎飴集団」ではなく、「桃太郎軍団」、つまりキジ(空から全体を俯瞰できる)、サル(木の上を俊敏に走ることができる)、イヌ(鼻が利く)のように、個々の能力が社長より優れている人を結集することが重要です。私が役員に求めたのはそこですし、最後に全体の責任者である桃太郎は「キビ団子」で成果に報いるのです。そうやってみんなでがんばって成果を上げる組織になるべきだと思っています。
このようにして、われわれは改革を実践してきたわけですが、必ずしもすべてうまくいったわけではありません。 改革できない原因はこれだった 「経営改革10の落とし穴」 改革を実践する中で、数々の失敗から得た教訓もかなりあります。ポイントをまとめてお話しします。
(1) 実行しない
:本社からいろいろな計画や指示が出されても現場社員の共感が得られなければ、物事は実行されません。
(2) 経営(上司)不信
:経営に対する信頼感や期待感を日常的につくっておくべきです。これを怠っていると、大きな改革をしようとしても受け入れられないからです。
(3) 上司への盲従
:部下が本当に理解しているのかを見極める必要があります。放っておくと改革が始まってから部下が違う方向に向いてしまいます。
(4) 成果なきプロセス
:会議や打ち合わせが多く、プロセスばかりを踏んでいて成果が出ないこともあります。目的と手段を混同しないことです。
(5) プロセスなき成果
:逆に何の議論もしないで、ただ経営理念を唱和すれば成果が出ると思っているようではだめです。
(6) 言葉の独り歩き
:「危機だ」という言葉が社内でよく聞かれても、これだけで経営陣が「わが社の危機意識は徹底している」と判断するのは危険です。言葉が社内を独り歩きしているだけかもしれません。
(7) 拙速
:経営計画のスケジュールは重要ですが、現場社員の実態を無視した進行は結局成功を生みません。
(8) 現状埋没
:改革で現場がなかなか変わらなくても、現場社員のせいにしてはいけません。上司自身がやり方を変えて、今までの倍の力を投じるべきです。
(9) 美文
:改革にはパワーが必要ですが、美文で埋め尽くされた通達文書にはパワーが感じられません。コミュニケーションは膝を詰めて行うのが一番です。
(10) 問題のすり替え
:物事を考えるときには、必ず自責で考えなければなりません。他責では自分の問題を見過ごしてしまい、改革につながりません。
以上が失敗から得た10の教訓です。次に、これから経営者を目指す方が、どのようにして成長していけばよいのか、私自身の経験を踏まえてお話しします。
日々の自己鍛錬が重要 「常に明るく元気に、自分にムチ入れろ」
まず、「当たり前の基準を高く持つ」ことが大切です。「今の能力で仕事をしていればいい」という感覚では、能力も低位に安定します。当たり前の基準を上げるコツは、「知らない」「わからない」「できない」の3つを言わないことです。そうすると、それをなくそうと一生懸命勉強するようになります。私は知らないことが増えるのが成長だと思っています。
忙しくて勉強する時間がないという人がいますが、仕事とは考えながら、勉強しながらやるものです。考えないでやる仕事は単なる作業です。考えていると学問的なことを知りたくなるし、よその会社の事例も知りたくなって情報を探す範囲も広がります。こうして仕事の中で徹底的に学び、本質を理解していくのです。また、仕事をするとき、常に第2のタイトルを考える癖をつけると、思考範囲が広がります。たとえば、新聞記事のテーマが健康保険財政だったら「わが国」は高齢化の問題がある、「わが社」の健康支援は、「私」の日常の運動は......と主語を置き換えて考えてみるのです。
また、「心技体のバランスを整える」ことも重要です。若いときには体力勝負で「体・技・心」、中間層では技術で勝負して「技・体・心」、役員クラスになったら心豊かな「心・技・体」と自分でコントロールしなければ成長していきません。自分を律するのはなかなか難しいことですが、自分の経営理念やモチベーションを紙に書いて自分の部屋などに貼り、毎日それを見て繰り返し繰り返しチャレンジしていくことが必要です。
経営者になると膨大な量の仕事に優先順位をつけて実行していくことになります。仕事を定量化して時間計算することも必要でしょう。そして状況はどんどん変化しますから、大中小3つのPDCAの歯車を違う時間軸で速く回していくという感覚も必要になります。ここで一番いけないのは、難しくなればなるほど「ああでもないこうでもない」と議論ばかりして、打ち手が遅れることです。具体的に取り組み、成果を出すことが重要です。
また、部下を納得させるのに効果的なのは、指示命令ではなく質問の繰り返しです。なぜを5回繰り返せば本心につながります。私自身も常に自問自答して自分にプレッシャーをかけています。経営者は、他責ではなく自責で考える「自立・自律した人間」になり、常に明るく元気に自分にムチを入れることが大事です。 「絶対に成功させる」 覚悟と信念が自分の立ち位置を決める そして、経営者の立場になったときに必要なのは、「覚悟」です。社員とその家族の生活を預かる「覚悟」と、そのためにはより多くのお客様に満足していただけるようなサービスを提供していく、絶対に成功させるという「想い」が自分の立ち位置を決めると考えて、私はやってきました。
さらに、経営者になったら部下を育て、後継者を育てなければなりません。山本五十六の言葉で「やってみせ言って聞かせてさせてみせ褒めてやらねば人は動かじ」というものがありますが、実は次のような続きがあります。「話し合い耳を傾け承認し任せてやらねば人は育たず」「やっている姿を感謝で見守って信頼せねば人は実らず」。
人が実るように導く、そして生きがいや働きがい、生き方を含めて満足できる人生を送ることができるようにする。私はここまでやることがトップである自分の仕事だと思っています。
講演後の質疑応答・意見交換より
Q:「桃太郎軍団」の能力ある人材の育成方法は?
泉谷:一例として、「国内武者修行研修」と「グローバル・チャレンジャーズ・プログラム」があります。前者では、社員を他社に1年間預かってもらい、「アサヒの常識は社外では通じない」ということを経験させて、客観的な目でアサヒを見ることのできる人材を育成しています。後者では、買収した海外企業に入社1年半後の社員を1年間送り込み、グローバルに戦える海外要員をつくっています。
Q:「スーパードライ」開発の背景と、トップブランドであり続ける理由は?
泉谷:発売2年前の1985年は業界シェアが史上最低の9.6%で、企業存続の危機にありました。このとき業界トップをまねするのではなく、新しい土俵をつくるチャレンジをして誕生したのが、スーパードライです。業界初の味覚調査を5000人に行い、「お客様が本当においしいと思うもの」を追求して「コクがあるのにキレがある辛口がうまい」という極致にたどり着きました。現在も次のコアユーザーである若者の調査を続けており、氷点下の「エクストラコールド」を採用するなどしています。常にお客様に提案すべき価値は何かを考え、調査し、実践し続けた努力が今のスーパードライの地位につながっていると考えています。
【講演を聴いて】鈴木亨のひとこと
泉谷会長が実践されてきたことを、自ら語っていただいたので、たいへん説得力がありました。経営資源の中で一番大事なものは「人と企業風土」であるという言葉は非常に重みがあると思いました。人の育成と企業風土の醸成は経営者にとってもっとも重要な課題であり、経営者の発想転換や意識、行動が大きく影響を与えるということを改めて認識できました。日々鍛錬を実践していきたいと思います。
※本稿はJMAC発行の『Business Insights』Vol.65からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。
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