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ブランド価値経営に転換したマツダのものづくり革新

マツダ株式会社
代表取締役会長
菖蒲田 清孝 氏

マツダ株式会社 代表取締役会長 菖蒲田 清孝 氏

菖蒲田 清孝 氏プロフィール:1959年生まれ。1982年東洋工業(現在のマツダ)入社。2003年車両技術部長、2006年防府工場副工場長などを経て、2008年執行役員 オートアライアンス(タイランド)Co., Ltd. 社長、2013年常務執行役員 グローバル生産・グローバル物流担当、技術本部長、2016年取締役 専務執行役員 品質・ブランド推進・生産・物流統括。2021年6月から現職。

マツダ株式会社
設立:1920年(大正9年)1月30日/資本金:2,840億円/従業員数:単体23,144人、連結48,481人(いずれも2022年3月期)/事業内容:自動車の製造・販売



「心ときめくドライビング体験を」。マツダのものづくりはユーザーへのプロミス。ロジカルとエモーショナルを融合させた「ブランド価値経営」が進む未来とは。

開発と生産の一気通貫の重要性

 本日は「マツダの構造改革への取り組み」をお話しさせていただきます。まずは私自身がマツダでどのような経験を積んできたかについて、紹介したいと思います。

 入社したのは1982年です。大学時代、内燃機関の燃焼ゼミにおりましたので、入社時の配属希望は「エンジン設計」「エンジン実験」「エンジン工場」と、エンジンに関わる仕事を第3希望まで提出しました。ところが配属されたのは「第3生産技術部」。当時は勉強不足で「生産技術」というものがあることを知らず、図面を描いたらそれがそのまま工場で組み立てられると思っていました。しかし、この「生産技術」がものづくりにとっては極めて重要で、生産技術部に配属されたことでボディづくりから塗装、組み立てまでを通して経験することができ、私にとって大きな財産になりました。

 さて、配属早々私は課長に呼ばれ「車両設計に実習に行ってこい」と、いきなり新型車のレイアウト設計業務を担当することになりました。当時はまだCADがない時代でドラフターというもので図面を描いていくのですが、私は線の1本も引けない状態でした。部品それぞれの機能やどこにつけるものかもわかっていなかったのです。そこで、工場でまず部品をすべて覚えることに精いっぱい取り組みました。1年後にレイアウトができ上がったころ、生産技術に戻ることになったのですが、ゼロからものをつくり出して量産まで結びつける難しさを経験させてもらえたのが、私のマツダの技術者としてのスタートだったと思います。

 入社して6年たったころ、デトロイトにあるフォード本体の主力工場への赴任を命じられました。1979年はマツダがフォードと資本提携していた時代で、アメリカの自動車メーカーが日本の小型車のものづくりを学ぶという時代。私もそのプロジェクトに派遣されたわけです。工場で設計図どおりに組み立てを始めましたが、なぜかうまくいきません。マツダの工場ではきちんと組み立てられるのになぜだろう、と調べてみると、マツダの標準とフォードの標準があらゆるところで違っていたのです。「標準の違い」によってものづくりがまったく変わってしまうということを学んだ経験でした。

 1997年に今度はフォードとマツダの合弁工場に赴任し、双方が別々に開発したクルマをひとつの工場でつくるというプロジェクトに関わりました。同じ機能を持った部品なのに、うまく組み立てられない。機能が同じでも、異なる構造をひとつの工程で組むことができなかったのです。これらの経験から、「開発から生産までの一気通貫のものづくりを絶対に忘れてはいけない」と叩き込まれました。

 2004年には生産技術部の部長に。その年の年末に、広島本社の塗装工場で火災が起きました。深夜の電話に飛んでいくと、幸いなことに従業員1112名は全員無事で、それは本当に救いでした。しかし翌日から再稼働まで休みなしの日々が始まります。設備業者さん、建築業者さんと共に奔走していたある日、社長に「復旧計画はどうなっているのか」と聞かれ、現場の安全も考慮して「8月のお盆明けを目指します」と答えました。すると「お前はどこを見て仕事しよるんか!」と大目玉をくらったのです。マツダの塗装が止まるということは、商品を待っているお客さまはもちろん、関係会社の方々、取引先の方々が仕事ができなくなることを意味します。私は、そのことにまったく気づいていませんでした。もちろん現場の安全は大切なのですが、「どこを見て、自分たちの仕事の先に何を見て仕事をするか」が大事なのだ、と雷に打たれたような経験となりました。このことから「自分自身が自らの人生の経営者である。自分自身がマツダの経営者である」という思いで、仕事をしてきました。

障害を乗り越えなければ理想の未来は来ない

 マツダは2020年に創業100年を迎えました。広島で創業した「東洋工業」が前身です。私どもは高い技術力で成長してきたのですが、1970年から90年にかけ「数字は力」という時代になると「販売規模の拡大」が経営の最優先目標となりました。現場は品揃えだけで精いっぱいとなり、競争力のある力強い商品をつくるまでに至らない状態に。その結果、マツダのブランドは傷つき、経営悪化を招く事態になりました。1979年にフォード社と資本提携が行われると、フォード主導のもとでマツダを語る大切なメッセージ「Zoom-Zoom」が誕生しました。これは、子どもがミニカーを動かすときに言う言葉で、日本語の「ブーブー」にあたります。つまり、子どものころに感じた動くことへの感動、心ときめくドライビング体験を提供し続ける、というブランドメッセージです。

 この「Zoom-Zoom」を受け、2006年に「技術開発の長期ビジョン」を描きました。世界中の自動車メーカーが驚くようなクルマを開発・販売する、というものです。このビジョンを達成するには、従来のものづくりの延長線上では実現不可能です。そこで、ものづくりを「すべて一新」することで、「モノづくり革新活動」をスタートさせました。

 まず、すべての部品を全部見直すこと。これまでは従来のクルマのキャリーオーバーする部品と新しくする部品がありました。しかし、これをやめて「理想的なクルマをゼロから目指す」ことから始めました。安易に妥協せず、徹底的に理想を追求するクルマづくりです。

部品をすべて見直し

マツダらしい理想のクルマをつくるため、クルマそのもののつくり方を一新。そのためにすべての部品を全部見直すことに。菖蒲田氏は当時生産担当として、あえてゼロからのスタートを切った


 そして革新的技術が誕生し「スカイアクティブ」と総称しました。動くことへの感動、まさに「Zoom-Zoom」を体感できるマツダならではの技術です。エンジニアリングだけではありません。「乗りたくなるクルマ」、マツダのデザインテーマ「魂動」も誕生しました。

 スカイアクティブ技術や魂動デザインの実現、ものづくり革新のスタートにあたり、私たちが行ったことはまず「10年後のありたい姿」を描くことでした。10年先を予想して、従来品の改良ではなく「理想的な構造ベスト、工程ベスト」を開発と生産のコンセプトに、一括企画という全車種の共通化を追求する方向性でスタートさせました。この方針で開発した最初のクルマ、CX-5が完成するまでの2006年から2011年の6年間、新車の販売ができませんでした。販売会社の方々には我慢を強いてしまいましたが、「これをやり抜こう」という思いでやってきました。障害はさまざまありましたが「乗り越えない限り、理想の未来に到達できない」という強い想いで、ものづくり革新ができたと考えています。

意識の変化が仕事の変化へ

 ものづくり革新に必要なのは、開発や生産ばかりではありません。下の写真はロードスター初期のフルデザインモデルを前に説明しているチーフデザイナー(左端)です。量産車の新型のデザインは、第一線級の機密事項でしたから、同じマツダの中でも生産技術の担当者しかそれを評価する場面がありませんでした。しかし、このときは現場のメンバーにもデザイナーの意図をわかってほしい、同じ思いでクルマをつくりたいということで、現場の金型製作の担当者や技術者、匠を集めて「何を実現したいのか」を語ってもらいました。すると、ここに集まったメンバーから「自分たちのこれまでのものづくりをこう変えたい」という提案がどんどん出てくるようになったのです。

ロードスターに集まるマツダの技術者たち

社の最高機密であるロードスターの新車評価にあえて現場の技術者を集め、チーフデザイナーから「実現したいこと」を説明。生産技術者が評価の場を持った初の試みとなり、従業員の意識を大きく変えるきっかけに


 たとえば、金型の匠は仕上げの砥石まで、砥石メーカーにかけあって一緒につくってくれました。金型のクオリティを1000分の1ミリ単位でキープしてくれたのです。髪の毛の太さが100分の8ミリですから、どれだけの精度かイメージしていただけると思います。マツダの命ともいえる「ソウルレッド」のボディカラーも、カラー担当のデザイナーが提案し、塗装技能の匠が塗り方を勉強して透過層と反射層の2層が重なり合って深みのある色をつくりだすことに成功しました。そのように技術者たちの思いも加わり、今のマツダのクルマができ上がっているのです。これらのものづくり革新は、匠の技と技術力に加え、ITの活用もビジネスの構造改革をけん引しています。

 ご存じの方は少ないかもしれませんが、マツダの3代目社長、松田恒次は生産現場の合理化を目的に、日本で初めて生産領域にコンピューターを導入し、経営の合理化を進めた人物です。マツダは1970年代にはデジタル化に舵を切りました。1996年には「マツダデジタルイノベーション=MDI」を開始。MDIの取り組みは、当初は社内の業務改革を目的としていましたが「新たな価値創造」へとその目的を変えていきました。スケールでは勝てないマツダの強みはお客さまに選ばれる「独自性」だと考えます。マツダらしい価値創造が不可欠と判断し、経営方針の大きな柱として「ブランド価値経営」をひな形に転換して、仕事の変革に着手を始めました。

 マツダの構造改革の定義は「目的指向で、まず意識を変える。それが仕事を変える。そして人を育て、組織を変える」ということ。現在は、部門横断で組成したクロスファンクショナルチームによる活動を積極的に進めています。

手段を目的に変え2030年へ向かう

 自動車業界は新しい領域、CASE(Connected:コネクティッド、Autonomous/Automated:自動化、Shared:シェアリング、Electric:電動化)に進んでいます。この4つはいずれも手段であり、これらを目的に生かすことを考えていかなければなりません。

 絶対的な正解がないのが経営です。だからこそ、私は志が起点になると考えます。そこで、マツダのパーパス、プロミス、バリューを定義しました。

PURPOSE
前向きに今日を生きる人の輪を広げる

PROMISE
心と体が活性化する、いきいきとする体験を提供する

VALUE
「ひと中心」「飽くなき挑戦」「おもてなしの心」

 パーパス、存在意義は「前向きに今日を生きる人の輪を広げる」。プロミスはマツダと関わるすべての人との約束で「心と体が活性化する、いきいきとする体験を提供する」。そしてバリューは、「ひと中心」「飽くなき挑戦」「おもてなしの心」。この3つを私どもの企業理念として、今後の活動をスタートさせました。

 さらに、この目標に向かう一里塚として「2030年ビジョン」も設定しています。それが「走る歓びで移動体験の感動を量産するクルマ好きの会社になる」ということ。マツダが磨き続ける価値は、若い人も年配の人も、男性も女性も、ベテランも初心者も、運転者も同乗者も、誰もがいきいきとクルマのある生活を楽しんでいただけるような、価値の創造に取り組んでいく、ということです。

マツダ株式会社 代表取締役会長 菖蒲田 清孝 氏

 そのひとつ、先進安全技術の取り組みを紹介します。マツダが先を見据えて開発している先進安全技術は、機械中心の完全自動運転ではなくて、その完全自動運転技術をサポートする個別の技術を備えながら、ドライバーをいつも見守って、万一のときに支援するシステムです。ドライバーの運転操作、頭部の動き、視線の動きをモデル化して、統合的にドライバーの運転状態を検知・分析して異常を把握しています。もし異常を把握したときには、クルマがドライバーに代わってクルマを運転し、安全な場所まで移動して停車させるというシステムです。昨年販売を開始したCX-60には、この支援機能の一部を初めて搭載しています。これは、いろいろな先端研究機関と一緒に人間の知覚、感性を理解することから始め、医師や大学病院の方々と人の運転習慣と健康の関係を明らかにするというかなり多くのデータを積み上げて生まれたものです。人を深く知るという価値観を大切にしながら、ものづくりとITの共創をさらに進化させ、マツダらしさを体現したモノ・コトの創造と社会インフラとしての価値創造、それに向けて飽くなき挑戦を行っていきたいと思っています。

 今後の挑戦である電動化については、2030年を見据え、3つのフェーズに分けて段階的に取り組み、協業先の関連投資を含めて1兆5000億円投じる方針を発表しました。まず2024年までに電動化時代に向けた開発を強化し、25年から27年までは、電動化へ向けてトランジションしていきます。その最初の商品が先日発表した、ロータリーを使ったEV、レンジエクステンダーEVです。最終的に28年以降、バッテリーEVを一括企画の考え方で順次導入していきたいと思います。

今後の挑戦:電動化について

 2030年までの経営3フェーズ 

PHASE 1(2022-2024):電動化時代に向けた開発強化

PHASE 2(2025-2027):電動化へのトランジショ

PHASE 3(2028-2030):バッテリーEV本格導入

組織を育てるために工夫したことと判断軸

 最後に、私が大切にしていることを紹介します。それは「自分で考えて動く人と組織を育てる」こと。そのために工夫したことは2つ。ひとつは「全関連従業員の意識を合わせるためにわかりやすい言葉で伝えること」そして「一人ひとりが考え始められるように正しい情報を見える化すること」。この2つを行うことで、全員が「わかる感」を持ち、それが「できる感」になり、最後に「やるぞ感」につながっていくことを本当に実感しています。

 そして判断軸ですが、私は「時間軸」と「地域軸」を判断基準にしています。過去、現在、未来、どの時代でも通用するのか、どの地域、国でも通用するのか。最終的に「これなら腹をくくれる」というところでボタンを押すことを心がけています。

 私の話が少しでも皆さまのご参考になれば幸いです。本日はありがとうございました。

講演後の記念撮影

JMAC代表取締役社長・小澤勇夫と


※本稿はJMAC発行の『Business Insights』76号からの転載です。
※社名、役職名などは発行当時のものです。

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