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生産現場の「ここが変だよ!」

第17回 外部審査で指摘が無いのが、良いISO?

  • 生産・ものづくり・品質
  • 生産現場の「ここが変だよ!」

安孫子 靖生

ISOの審査で指摘のないことが第一義になってしまっているQMS

 品質保証を論じるに当たってISO9001は今や外すことはできない。多くの企業がISO9001に基づき、品質マネジメントシステム(QMS)あるいは品質保証のしくみを構築し、外部審査機関の審査を受け、認証登録を維持している。もちろん、審査を受ける上では不適合が無いようにしなければならず、審査前にまたは常日頃から会社で決めた品質保証業務の手順、基準の順守徹底を組織全体に促すことも必要なことではある。

 しかしながら、「審査で指摘のないように」というのが、QMSの本来の目的が置き去りになってしまう大きな要因になってしまうのではないかという疑念を感じる。

 どこの企業も、どの品質保証部門も、「ISO認証取得は目的ではない」と断言はする。と言いつつも、改善の要否やどこまで管理が必要かといった議論の中で、「実質的にはそこまで管理してなくとも自社の品質保証上はさほど問題でない」と考えられることも、「指摘をする審査員もいるかもしれないから改善しておこう」と審査を意識したISOの活動になっている場面がしばしば見受けられる。

 逆に、本来の目的からすればもっと管理レベルや管理精度を上げなくてはならないと思われる事項に気づいても、「これまで特に外部審査で指摘を受けていないから、今のままでも問題ないのでしょう」と改善の機会を自ら放棄してしまっていることもある。つまり、やはり根底には外部審査での指摘の有無が暗黙的に最重要視されているのである。これでは、組織全般に亘る品質意識向上、意識改革などさまざまな取り組みを画策する中で、これで良いだろかと懸念される。

 極端な話、「外部審査で審査員がどう判断するかは考えなくても良い」と言い切ってしまっても良いのではないか、むしろそういった意識付けがないと品質マネジメントのレベルが上がっていかないのではないかとも思う。

QMS運用・改善の目線

第三者からの指摘を理由に運用の順守や改善を指示する

 なぜ、そのような活動になってしまうのか?それには3つの理由が考えられる。

 1つ目は、ISO要求事項に対する誤解である。ISO要求事項は「管理手段にまで言及された絶対的なレギュレーション」と理解されてしまっているように思われることがしばしば見受けられる。

 ISO要求事項は標準化された品質保証モデルであり、どのような品質保証の理論武装を行うかによって、要求事項の適用の仕方は大きく異なる。審査員というより、顧客が納得できる理論武装を組んでくるかがISOでもっとも重要なのである。

 2つ目は、改善に対する強制力の強さである。社内からの指摘では、人や部門によって考え方や目指すゴールに相違があり、方向性を議論し合意を得るには苦労がともなう。しかし「外部機関から、会社としての指摘となりますよ」と一言言ってしまえば、改善の必要性に疑念を持っている人も、改善するしかないかと納得せざるを得ないと思ってしまう。

 要は、自社として改善すべきか否かの議論を省略してしまっており、これこそが品質保証に強い組織を作り上げる上では大きな問題点なのである。

 3つ目は、最初にISO9001の認証取得に取り組んだ時の苦労のトラウマ(心的外傷)である。ISO9001の認証に向けては、ISO9001でどうでなければいけないのかもよく分からない中で、会社の多くの業務をカバーした形でルール化、文書づくり、審査対応、是正処置など、全社あげての認証取得活動を展開し、多くの時間と金を費やし、認証取得を成し遂げてきたと思われる。認証取得=完成として一息ついてしまうと、いかにそれを崩さないように維持するかと思ってしまうのは当然の心理であろう。

 苦労した企業、人ほどこれがなかなか根強く、認証取得から何年たっても「ISO=審査」のイメージから離れることができない。そのため、審査で指摘がないならばQMSを変えない方が良いという考えに至ってしまうのも理解できないわけではない。

目的思考でしくみの改善余地を総点検する

 このような状況、課題を多かれ少なかれ抱えている場合にどう取り組めば良いのか。まずは、審査を意識しないことをトップが全社員に明言し、意識改革を促すことである。

 社員おのおのが、自分の仕事や部署が審査で指摘を受けないようにルール通りに仕事をすることを意識することは、責任感の現れでもあるので決して悪いことではない。もちろんそれ自体は否定しないが、それ以上に顧客視点での品質保証ができているか、QMSのあるべき姿を追求しているか、といった観点での責任意識にしなくてはならないのである。

 必ずしも現状のQMSが常にベストというわけではなく、あるべき姿は企業をとりまく環境によって変化するものであることを認識しなくてはならない。組織をけん引する者、QMSの維持、改善をリードしていく者は、QMSの根底に根づいてしまっている審査に対するイメージを覆すように、「誰のためのQMSなのか」、決して審査員のためのQMSでないことを今一度周知してもらいたい。

 次に、現在のQMSの総チェックと改善である。

 ISO9001の運用における課題を企業に聞いてみると、もっとも多い声は「QMSの形骸化・形式化」である。QMSのあちらこちらに形骸化している業務が点在しているという課題認識をもっており、現場の第一線(担当者レベル)になるとなおさらその声は強い。

 1つ1つの業務に目的があり、その目的が顧客への品質保証に帰結するものでなくてはならないが、具体的な実務の方法(手段)を見ると目的との乖離(かいり)が存在しているケースが見受けられる。「なぜこの業務が必要か」、「なぜこの文書や記録が必要か」、「なぜここまで厳密に管理しなくてはならないか」などを問いていった時に、「ISOで要求されているから、それ以外に目的が見いだせない」のような業務こそが、形骸化といえる。

 これが多く存在すると、QMS自体の存在意義に疑問符がついてしまうであろう。ISOの認証取得後もこれを議論し続けている企業は意外と少ない。長年のあかではないが、形骸化の観点で総点検をかけ、今の品質問題、置かれている環境に照らし合わせて、効率的かつ品質保証力に高いQMSへの改善を描く必要性があると考える。

 目線を変えるだけでもQMSの改善余地は大きいのである。

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