研究開発現場マネジメントの羅針盤 〜忘れがちな正論を語ってみる〜
第30回 心理的安全性は待つものではなく、自ら獲得するもの
- R&D・技術戦略
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塚松 一也
心理的安全性は重要な組織インフラ
第29回、第27回のコラムにも書いたが、健康・安全が第一、次にプロジェクトの成功に本気であること、これが仕事の優先順位の大原則である。どんな時だって原則として健康第一。フィジカル・メンタル両面で健康を害するような働き方はしないように心がける。そして、同様に安全も第一義であるわけだが、この安全を少し概念拡張して解釈すると、最近よく聞く「心理的安全性(Psychological Safety」も安全の部類と考えてもいいかもしれない。
「日程が遅れていると本当のことを言ったら、部長が嫌な顔をするだろうな」「他の人も忙しいから、仕事を依頼しづらいな」「こんなことを言ったら、バカと思われるかも」という感じで、何かを“恐れて”本当のことを言わない(言えない)。人によっては勝手に恐れすぎ(おじけ過ぎ)と思えることもあるようにも思うが、本人が心理的な危険を感じて(自分の当座の)危険回避を優先して、プロジェクトの成功に真摯(しんし)でない態度・行動をとってしまうことは、プロジェクトマネジメントとしては本来的には避ければならないことである。個人の当座の安全確保を優先してしまうがあまり、気づいている問題やリスクを共有しようとしないということは、トータルでみて周りの誰も幸せにしない。
そして多くの場合、当座の安全確保をした本人にもそんなに遠くない時期にごまかした(やり過ごした)問題のつけが回ってくるものである。小さな因果応報のようにも思える。「あ~、あの時、(自分が気づいていた)問題・リスクがあることを正直に伝えておけばよかった」と思っても、後の祭りである。要するに、「問題・懸念・心配・違和感はそれに気づいた時に言う!うまく言語化できなくても、絞り出して何か伝えようとする!」ことを原則とすべきだ。
でも、その原則的行動がとれないぐらいの何かの“危険性”を感じているので、「怖くて言えない」心理状態に陥ってしまっているということなのだろう。周りの人たちに対して十分な心理的安全性を感じていないことが、「言うべきだとは頭ではわかっているが、言えない」という心理状態に陥っている原因なのだろう。心理的安全性は組織・チームで仕事をする人にとって重要なインフラであることは間違いない。
物理的な安全性との対比で心理的安全性を考えてみる
あらためて組織的な安全性確保の取り組みについて考えてみよう。大きくわけて、Physical(物理的)な安全性とPsychological(心理的)な安全性の2つがある。
Physical(物理的)な安全性確保とは、機械・物(物理的なもの)の不安全状態を見つけて対策をとる、不安全行動を認識して律して危険要素を減らしていこうという取り組みである。物の欠陥、安全装置の不備など、文字通り「物の理(ことわり)」を原理原則から考察して、安全確保に且つ組織的に対応に取り組む。
各人が経験した「あ~、危なかった。一歩間違ったら大変なことになっていたかも」という危険(不安全)な事象(出来事)を「ヒヤリハット(ヒヤリとしたり、ハッとしたこと)」と呼んで共有化する活動は、KY(危険(Kiken)予知(Yochi))活動として、建築現場・製造現場を中心に広く行われている。Physicalな安全性をみんなで高めているのである。指さし確認などが徹底され、やがてその安全行動が普通になっていくことで、Physicalな安全性は高まっていく。
一方、Psychological(心理的)な安全性確保とは、人間どうしのかかわりの中で、発言や行動をちゅうちょしない心理状態、自分の思ったことを素直に言っても拒絶されたり評価を下げられたりする心配のない心理状態にあることである。心理なので、文字通り「心の理(ことわり)」の世界である。各人が心理的安全性を感じられるように、組織的に工夫をしていくことが今さかんに行われている。ネガティブな反応をしないようにしたり、わかっていない人をばかにするような反応をしないようにしたり、主としてコミュニケーション上の発言やノンバーバルな反応などにお互いに気をつけようというという取り組みである。心理的安全性を落とさないようにする組織的な取り組みを継続していくことで、やがて組織文化に昇華されていき、Psychologicalな安全性はそれなりに高まっていくだろう。
ただ、Psychologicalな安全性の難しいところは、各人の心の次元であるということだ。行動のように他人から見てわかるものではない。ネガティブなことを言わないようにするという他人(周囲)の振る舞いだけで決まるものではなく、各人の内面の意識で決まる要素が大きい。つまり、心理的安全性なるものは、周りの人に作ってもらうことではなく、自らが獲得しにいくものという要因が大きい。「上の人や周りの人の目が怖くて自由に発言できないです。私が発言しやすくなるようにしてください。それまで待っています」というように周りの人に環境整備をしてもらうことを待っていればいいという話ではないはずだ。
心理的安全性を高めるための工夫を自らしているだろうか
あらためて、心理的安全性とは、自分が他人の反応に怖がったり恥ずかしがったりすることなく、自分が思ったことを言ったり行動できたりする安全性を自分が感じていることをいう。「こんなこと言ったら、怒られるのではないか、相手の気分を害してしまうのではないか、無能と思われてしまうのではないか」という危惧なく、自分が思ったことを言える心理状態にあるということだ。心理的安全性は、自分の心の次元の話である。
心理的安全性を高めるためには、よく言われているように、周りの人の反応のしかたが重要なことはそのとおりだろう。発言した人に対してネガティブな態度や攻撃的な反応をしたのでは心理的安全性は育めない。
そのような周りの人の態度・雰囲気(外的要因)の重要性を認めたうえで、私は心理的安全性を自分の中で獲得するためには、自分の心の持ちよう・姿勢(内的要因)のほうがより重要だと思う。「この組織・チームメンバーなら、自分がリスクをとっても大丈夫」と思えるためには、その安心感(危険性を覚えない)が自分の心の中になくてはならない。そう考えると、よくある「鶏が先か卵が先か」的な悩ましい構造のようにも思えるが、冷静に考えればどちらが先かは明らかである。
すなわち、自分で一度勇気を出してリスクをとって何かを言ってみる・やってみることが先である。リスクがあることを言ってみて、それに対して回りが危険ではない反応をしてくれて、初めて安全性を実感できるものだ。最初の小さな心理的安全性体験を得ることで感じた心理的安全性が、その後の「リスクがあることを言ってもいいんだな」につながる。それを重ねていくことで、文字通り心理的安全性を自分の内面に獲得することができる。
そのためには、周りの反応を信じて、最初に勇気を出してリスクがあることを言ってみるということが「初手」だろう。リスクがあることなので、たしかに周りの反応が心配になるだろうが、致命傷を負わされることはない。完全に無視されることもおそらくないだろう。自分が期待したような良い反応は得られないかもしれないが、それはもともと自分の中での周りの人への期待水準が高すぎただけだと捉えるべきだ。
たとえば、心理的安全性を高める自助努力・工夫として「周りの人への期待を自分の心の中で低めに見積もっておく」ということは極めて汎用(はんよう)性の高い「心の持ちよう」だ。そのようなコツを実践していくことで、自らの心理的安全性を高めていくことができるものだ。心理は自分の内面の話だから、自分の心の持ち方を変えることの重要性を、今一度思い出そう。
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